2017年12月27日更新
どんな人?
- 美空ひばりは1937年5月29日生まれの人気女性歌手。
- 8歳の頃から歌手活動をしており、1949年にレコードデビューする。
- 歌手としてだけでなく、舞台や映画にも出演。1955年の映画『ジャンケン娘』では江利チエミ、雪村いづみと共演し、「三人娘」と呼ばれる。
- 両側大腿骨壊死・慢性肝炎などの病との闘病生活の末、52歳という若さで亡くなった。
- 二男二女の長女で、弟たちも俳優や歌手活動をしていた。子供は1977年に加藤和也を養子にもらっている。
プロフィール
本名 | 加藤和枝 |
生年月日 | 1937年5月29日 |
没年月日 | 1989年6月24日(満52歳没) |
身長 | 153cm |
出身地 | 神奈川県横浜市磯子区滝頭 |
最終学歴 | 精華学園高等部 |
デビュー年 | 1949年 |
配偶者 | 小林旭 |
所属事務所 | ひばりプロダクション |
美空ひばりの生い立ち
美空ひばりは1937年5月29日生まれ、神奈川県横浜市磯子区出身。
享年52歳。
本名は加藤和枝。[出典1]
幼い頃から天才だった
美空ひばりは屋根なし市場の魚屋「魚増」を営む父・増吉と母・喜美枝の間に生まれる。
日中戦争が始まるひと月半前であり、戦争は第二次世界大戦へと続いていった。[出典2]
1943年に父が横須賀海兵団に入隊した頃、美空ひばりはその壮行会で「九段の母」を歌う。
それ以降、出征兵士の壮行会、海兵団や軍需工場の慰問などで美空は歌い、早くも天才少女として近隣を見せていた。[出典3]
また歌が得意なだけでなく、記憶力も良かったため4歳の時には百人一首を暗記していたという。[出典4]
ミソラ楽団が結成
1944年に滝頭国民学校へ入学した美空ひばり。
翌年の1945年には父親が復員し、「ミソラ楽団」を結成。[出典3]
戦後すぐの当時、8歳だった美空ひばりはミソラ楽団を伴奏に、磯子区滝頭の町内演芸会に出演して歌っていた。
この頃は美空和枝の名前で歌っていた。[出典2]
9歳で舞台へ
1946年9月に美空ひばりは横浜市磯子のアテネ劇場で初めて舞台に立つ。
翌1947年では横浜の杉田劇場で漫談の井口静波、俗曲の音丸の前座歌手として出演。
これ以降、この一行と地方巡業するようになる。[出典4]
のど自慢に出場するも…
美空ひばりは1946年に『のど自慢』(NHK)へ出演。
この時「リンゴの唄」を披露しているが、鐘ひとつで不合格となってしまう。[出典4]
その理由について、
「10歳になるやならずの少女が大人の歌を達者に歌う上に、三十女のお色気を持つとは恐るべき不健全である」[出典4]
とのちに当時の審査員の一人が語っている。[出典4]
芸名を美空ひばりに
その後、1948年5月には横浜国際劇場へ、同年9月には日劇小劇場へ出演。[出典4]
伴淳三郎が座長格の日劇小劇場『新風ショー』に出演。靴磨きの娘に扮し、初めて自分の持ち歌「あんたとあたり」(トランペッターの高坂清明作曲)を歌う。[出典3]
このとき演出を担当していた宝塚の岡田恵吉から美空ひばりと命名される[出典4]