2017年12月27日更新
美空ひばりは1962年11月5日に小林旭と日活国際ホテルにて結婚。[出典1]
2人の出会いは1961年秋に雑誌「明星」での対談がきっかけだった。
小林旭によると、
その時、ひばりが『恋人はいるの?』と聞くから『いないよ』と言ったら、『じゃあ、私と親しくしてよ』ってんで、気が付いたら恋人になっちゃってた[出典8]
と当時交際した経緯をインタビューで語っている。
美空ひばりは肉食系だったようで、ひばりの方から結婚へ押し切ったようだ。[出典8]
1964年に離婚
美空ひばりと小林旭は1964年6月25日に離婚を発表した。[出典1]
離婚の原因については、ひばりの母親との食い違いなどを小林旭がインタビューで明かしていた。
また、小林は婚姻届を出すのをひばりの母が拒否したため、ひばりと籍を入れていなかったとも語っている。[出典9]
美空ひばりの家族
美空ひばりの父親の名前は加藤増吉、母親は加藤喜美枝。
兄弟は二男二女で、ひばりは長女として生まれた。[出典4]
妹の佐藤勢津子はのちに演歌歌手としてデビュー。
上の弟は元歌手のかとう哲也。
下の弟が元俳優の香山武彦。[出典4]
美空ひばりの息子
美空ひばりは当時5歳であった加藤和也を養子にもらっている。
加藤和也はひばりの実弟であるかとう哲也の息子として生誕。生みの母の記憶は全くないという。
物心がついた頃から美空ひばりを「ママ」と呼んでいたようで、1977年にひばりは長男として和也を養子縁組にした。[出典10]
美空ひばりの闘病生活
相次ぐ不幸で酒に溺れる
美空ひばりは実弟で作曲家のかとう哲也が賭博幇助の容疑で逮捕されたのをきっかけに、ひばりと山口組系組織との交遊が明らかになる。
1973年には『NHK紅白歌合戦』(NHK)から締め出され、世間から非難される。
さらに1981年にひばりが慕う山口組三代目・田岡一雄組長が亡くなり、その1週間後にはマネジャー兼プロデューサーだった母が立て続けに死去する。
1983年10月には、これまで幾度も逮捕されていた弟・かとう哲也が42歳で急逝し、もう1人の弟・香山武彦も1986年に亡くなった。
このことから美空ひばりは酒とタバコに傾き、酒の量は年々増えていったという。[出典11]
1987年に緊急入院
1987年4月22日、美空ひばりは福岡で倒れる。[出典4]
公演先で股関節や太腿に激痛を訴え、緊急入院する事態に。