2017年12月27日更新
美空ひばりは1949年3月に東映映画『のど自慢狂時代』で映画初出演。[出典3]
のど自慢に出演した大人たちが落選していく中、ブギウギを歌う少女が合格して周囲を驚かすという役だった。
当時監督の斎藤寅次郎が日劇のレビューなどに出演した美空の評判を聞いて、映画に起用したそうだ。[出典4]
美空ひばりのレコードデビュー
美空ひばりは1949年8月に佐々木康監督『踊る龍宮城』にキャバレーで歌う少女役で出演。
その映画の主題歌『河童ブギ』をレコーディングし、同年7月30日にコロムビアレコードから発売されたことでレコードデビューを果たした。
当時12歳だった美空ひばりは、8月1日付でコロムビアと専属契約を結んだ。
『踊る龍宮城』の音楽監督をしていた万城目正は、コロムビア専属だったことから美空のために『悲しき口笛』を作曲。
また同名の映画『悲しき口笛』が松竹で製作することになり、家城巳代治監督で映画化される。
するとレコードも映画も大ヒットし、美空ひばりは天才少女歌手として全国に知れ渡った。[出典4]
美空ひばりと田岡一雄
戦後のある時期まで芸能人と暴力団は深く、芸能興行がヤクザの伝統的な稼業でもあった。
そんな時代に美空ひばりは三代目山口組組長・田岡一雄と知り合った。
1948年12月に山口組が影響力を持つ神戸松竹劇場へ出演するため、当時11歳だったひばりと母親は神戸の田岡邸へ挨拶に訪れ、初めて田岡と出会う。
ひばりの物怖じしない姿と見事な歌唱力に感服した田岡は、
「彼女を生涯にわたって守ってやろう」[出典5]
と誓い、1957年に芸能プロダクション「神戸芸能社」にひばりを誘った。[出典5]
美空ひばりと「三人娘」
1955年に美空ひばりは、江利チエミや雪村いづみと映画『ジャンケン娘』で初の映画共演を果たす。[出典4]
この3人は当時「三人娘」と呼ばれていた。
他にも『ロマンス娘』、『大当り三色娘』、『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』などの作品にも3人は共演した。[出典6]
「三人娘」時代に起きた事件
有名になった「三人娘」だが、それ故に事件も起きてしまう。[出典2]
1956年に大阪劇場で公演した際に、多くのファンを動員し過ぎてしまい入場時に混乱。
ファンの1人であった当時15歳の少女が死亡してしまった。[出典2][出典3]
また、1957年の浅草国際劇場ではファンの1人から塩酸をかけられる事件も発生。[出典2]
美空ひばりは胸と顔に、全治3週間の火傷を負った。[出典3][出典7]
犯人は当時の美空ひばりと同年齢の19歳の少女で、動機は面会できないことへの恨みだったという。[出典7]