2017年12月27日更新
精密検査の結果、大腿骨骨頭壊死と診断された。また、酒の影響から慢性肝炎とも言い渡される。
衝撃を隠せない美空ひばりだが、「もう一度、ファンの前で歌いたい」という思いから後に復帰公演を行うこととなる。[出典10]
美空ひばり「不死鳥コンサート」の裏側
1988年4月11日、美空ひばりは復帰公演となる「不死鳥 〜翔ぶ!!新しき空へ向かって〜」を東京ドームで開催。[出典1]
この公演は2時間半に及び、39曲を歌いきったひばりは5万5000人もの観客を魅了した。[出典10]
同年3月には復帰アルバム『不死鳥』をレコーディングしたほか、新曲『川の流れのように』も発表して大ヒット。[出典3][出典4]
1989年2月には、立つことさえ不思議な体でコンサートツアーに赴く。[出典10]
しかし楽屋ではベッドや酸素吸入器が持ち込まれる状態で、緊急手術も可能なように医師も待機していたという。
そして1989年3月には東京・順天堂大学医学部付属病院に緊急入院することとなり、全ての仕事を止めることとなった。[出典12]
美空ひばり、1989年に永眠
1989年5月29日、ひばりは52歳の誕生日を迎るも病状は悪化する一方で、人工呼吸器が装着されることに。
そして同年6月24日、午前0時28分。美空ひばりは52歳の若さで帰らぬ人となった。
6月26日の密葬には1200人の弔問客、300人を超える報道陣、自宅を4kmにわたって取り囲んだ1万3000人のファンが見送った。[出典13]
美空ひばりは亡くなった後も「ニッポン放送銀座音楽祭 特別栄誉賞受賞」、「第20回歌謡大賞・特別栄誉賞受章」など数々の賞が送られた。[出典3]
出典
- 『プロフィール 美空ひばり』(日本コロムビアオフィシャルサイト)
- 『ひばりとジャズ、そしてシャープ──原信夫が見つめた「美空ひばり」(3)』(TOWER RECORDS ONLINE)
- 『美空ひばり公式ウェブサイト » プロフィール』(美空ひばり公式ウェブサイト)
- 『美空ひばり - 略歴・フィルモグラフィー』(KINENOTE(キネノート))
- 『「お嬢」「おじさん」と呼び合った山口組組長と美空ひばり』(NEWSポストセブン)
- 『ひばり、チエミ、いづみが歌って踊る「三人娘」シリーズまとめて放送』(映画ナタリー)
- 『力道山刺殺、裕次郎披露宴、美空ひばり塩酸事件現場の今の姿 3/3』(NEWSポストセブン)
- 『没後25年 未公開取材メモで明かされる美空ひばりの「光と孤独」(5)小林旭が明かしたひばりとの出会い秘話』(アサ芸プラス)
- 『没後25年 未公開取材メモで明かされる美空ひばりの「光と孤独」(7)戸籍上では夫婦ではなかった』(アサ芸プラス)
- 『美空ひばり “没後25年”未公開取材メモで明かされる「光と孤独」(2)息子・和也氏が直訴した“不死鳥コンサート”中止』(アサ芸プラス)
- 『美空ひばり “没後25年”未公開取材メモで明かされる「光と孤独」(1)立て続けに不幸に襲われた寂しさが…』(アサ芸プラス)
- 『美空ひばり “没後25年”未公開取材メモで明かされる「光と孤独」(3)死が近づく中での親子関係』(アサ芸プラス)
- 『美空ひばり “没後25年”未公開取材メモで明かされる「光と孤独」(4)病室で録音したファンへのメッセージ』(アサ芸プラス)