どんな人?
- 山口茜は、2011年に全日本総合選手権に史上最年少の14歳で出場、翌年には史上最年少で日本代表入りを果たしたバドミントン選手である。現在世界ランキング10位。
- 節目となった2014年は、中国オープンで準優勝、全日本総合選手権の女子シングルスで初優勝するなど数々の成績を残した。また、2季連続で「最も躍進した選手」に選出された。
- 2015年に再春館製薬所に入団。山口の背番号は6番である。
選手活動
世界ランキング10位に
2011年、全日本総合選手権に史上最年少の14歳で出場。
中学3年生だった2012年には、史上最年少で日本代表入りを果たした。
2013年、ヨネックス・オープン・ジャパンで日本人初優勝。
2014年11月には中国オープンで準優勝、同年12月に行われた全日本総合選手権では、女子シングルスで初優勝を遂げた。
世界を転戦する中で、粘って崩すというプレースタイルを築き上げ、大舞台で勝てるようになった山口は[出典2]現在世界ランキング10位である(2016年7月31日時点)。[出典3]
節目となった2014年
当時、17歳の山口にとって2014年は節目の1年となった。
初めてA代表でスーパーシリーズを転戦し、8月のユース五輪と9月の仁川アジア大会で国際総合大会を経験。
最後はスーパーシリーズ ファイナルまで進出し、出場した上位8人の中で3位となった。
世界ランキングは2014年の年始時点の87位から、丸1年後には12位へ上昇。
ここまで上がるとは思っていなかった
と本人が驚くほどで、2季連続で世界バドミントン連盟から「最も躍進した選手」に選出された。[出典1]
ベストゲームは負け試合
山口が「2014年のベストゲームに挙げてもいい」と語ったのは、ファイナルゲームの末に惜しくもロンドン五輪金メダリストに敗北してしまったYOJのリ・シュエリ(中国)戦。
あの人とあんなラリーができて楽しい、すごい選手にフェイントが決まって楽しいとか、そんな感じ。内容の濃さが楽しさだった
と山口は説明している。[出典1]
地元・勝山のために
山口は、故郷の福井県勝山市にある県立勝山高等学校に進学。[出典4]
あえて高校進学時に地元に残る選択をしたため、地元代表として出場するインターハイに並々ならぬ意欲を燃やしていた。
(インターハイに)出場しなかったら、高校進学の時に地元に残る選択をした意味がない。高校最後の1年は勝山市の人間として戦いたいんです
と山口。2015年、当時山口が高校3年生だった頃、世界選手権とインターハイの日程が重なったが、インターハイを優先したという。[出典2]
再春館製薬所に入団
2015年に再春館製薬所に入団。
山口は新入団選手発表会に黒のユニホーム姿で登場し、
トリッキーなプレーで、見ている人をワクワクさせたい
新天地でも自分らしさに磨きをかけて、さらにパワーアップした山口茜をみてもらいたい
などと意気込みを語った。背番号は6番である。[出典5]