どんな人?
- 本谷有希子は、2005年に自らの戯曲を小説化した『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で三島由紀夫賞候補になり脚光を浴びた劇作家、演出家、小説家である。
- 2000年9月に劇団「本谷有希子」を旗揚げし、自身は主宰として作・演出を手掛ける。また、同劇団は専属の俳優を持たないプロデュースユニットとして活動している。
- 2013年5月に、詩人で作詞家の御徒町凧と結婚。2015年10月には第1子となる女児を出産した。
生い立ち
幼少時代
幼いころから本を”ギリギリ”好きだったという本谷は、
小学何年生かは忘れてしまったんですが、アガサ・クリスティーの名探偵ポアロシリーズにハマったんです。
母がテレビのポアロのシリーズを見ていて、私もその役者のことがすごく好きになったので本も読むようになったんですよね。
アガサ・クリスティーは図書館で借りて全部読みました。
と幼い頃から読書をしていたことを明かしている。
また、当時の自身の性格については、
クラスではもっぱらムードメーカーだったんですよ。チョー運動少女みたいな(笑)。
でも図書室に通っていた記憶もあるので、学校でのキャラクターは両極端だったのかも。
帰り道に本を読みながら歩いているので「本谷!本谷!」とよく注意されたりしてましたし。
と語っている。[出典1]
中学・高校時代
中学時代はテニス部に所属。部長を務めていた。
高校では以前から興味があった演劇部に所属した。
本谷は当時のことを次のように振り返っている。
小学生の頃は自分でもハツラツとした運動少女と思っていたのが、中学生の時に「ん?私本当にハツラツとしているの?」と思い始め、高校から陰陽の陰の部分が多くなっていって。
だんだん自意識が激しくなっていって、表舞台には出ないようになったんです。[出典1]
芸能活動
劇団「本谷有希子」旗揚げ
高校卒業後は、上京し、演劇のワークショップに通うも1年で断念。
ウエイトレスのバイトとワープロで小説と台本とコラムを書いて過ごしていたところ、本谷の台本を読んだ演劇系の友人に「面白い、やろう」と言われ、2000年9月に劇団「本谷有希子」を旗揚げ。当時21歳だった。[出典1]
本谷は、主宰として作・演出を手掛ける。[出典2]
また、同劇団は専属の俳優を持たないプロデュースユニットとして活動している。[出典3]
さらに、小説家としても活動しており、劇界と文学界の両方で注目を集めている。[出典4]
自らの戯曲を小説化した『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』では2005年に三島由紀夫賞候補になり脚光を浴びた。[出典5]
受賞歴
2007年に『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。
そのほか小説家としては、
- 『ぬるい毒』(新潮社)第33回野間文芸新人賞
- 『嵐のピクニック』(講談社)第7回大江健三郎賞
- 『自分を好きになる方法』(講談社)第27回三島由紀夫賞
などを受賞している。[出典2]
私生活
結婚&出産
本谷は2013年5月に、詩人で作詞家の御徒町凧と結婚。
2015年10月には第1子となる女児を出産した。
本谷は自身のブログにて、
生後二ケ月の娘は、それにしても私そっくりだ
と綴っている。[出典5]
影響を受けたもの
影響を受けたものとして、岡田あーみんの『お父さんは心配症』、冨樫義博の『幽遊白書』と『HUNTER×HUNTER』、ジョージ秋山の『銭ゲバ』や『阿修羅』を挙げている。[出典3]
私はちょっとリリカルなものより、はてしなくバカなほうが好きだなって思っていました。
『幽☆遊☆白書』や『HUNTER×HUNTER』の富樫先生から影響をもらっていると思います。
それと、ジョージ秋山作品の業の深さ。漫画ばっかりだな(笑)。
あとは推理小説やホラー小説の系統。自分のベースはエンタメというベタなものであるなあとは思います。
演劇もそもそも演芸ですから、楽しませてなんぼというところがあるし。
エンタメといえば『このミステリーがすごい!』は毎年お世話になっております、読者として。
と本谷は語っている。[出典1]