どんな人?
- 梶原善(かじはらぜん)は、日本で活動する役者。岡山県出身の1966年2月25日生まれ。シス・カンパニー所属。
- 高校卒業後に上京し、アルバイト仲間だった役者・松重豊の紹介で三谷幸喜主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」に参加した。
- 1985年に初舞台を踏み、1994年に劇団が活動休止するまで看板役者として活躍している。劇団の代表作である『12人の優しい日本人』が映画化された際は、舞台と同じ陪審員7号役で出演。
- 1993年放送の三谷幸喜脚本ドラマ『振り返れば奴がいる』(フジテレビ)では、テレビドラマ初出演した。
- 劇団休止後も、三谷幸喜作品に多く出演している。
▼梶原善(左端)
生い立ち
梶原善は、岡山県出身の1966年2月25日生まれ。現在年齢は58歳。シス・カンパニー所属。[出典1]
コミックバンドのボーカルとして活躍
梶原善は、岡山理科大学附属高校在学中にコミックバンドを結成し、ボーカルを担当。
同バンドは人気を博し、地元・岡山県のテレビ番組にも出演した。
高校卒業後は上京し、服飾専門学校「東京デザイナー学院」のスタイリスト科に進学。[出典4]
梶原善は当時を振り返り、
両親に『役者になりたい』と言ったんですが、そんな雲を掴むような話、『いいよ』と言うわけがない。次に興味があったのが、洋服だったんです。ブランド全盛期で、男のスタイリストも活躍しはじめた時代でした。[出典4]
と語っている。[出典4]
役者・松重豊の紹介で役者となる
梶原善は、ミュージシャンの甲本ヒロトと高校時代から仲が良く、上京後も同じ中華料理屋でアルバイトしていた。[出典2][出典4]
また、同店には役者の松重豊もアルバイトとして在籍していたという。[出典4]
松重豊は当時、脚本家の三谷幸喜が手掛ける舞台に何度か出演しており、三谷幸喜に梶原善を「おもしろいやつ」として紹介。[出典2]
その後、三谷幸喜から舞台への出演を打診された梶原善は、それを機に役者としての活動を開始している。[出典4]
▼役者・松重豊
▼脚本家・三谷幸喜(写真左)
芸能活動
三谷幸喜作品を中心にドラマ・映画で活躍
梶原善は高校卒業後に上京。
役者の松重豊からの紹介を経て、1985年に脚本家・三谷幸喜が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」に入団している。[出典2][出典3]
初舞台は、同年に公演された舞台『くたばれサンダース』。気の弱いサラリーマン役を演じたが、梶原善曰く「岡山弁のイントネーションが抜けておらず、酷い演技だった」という。[出典5]
以降、同劇団の役者として活躍し、1991年には同劇団の戯曲を映画化した『12人の優しい日本人』に出演。
同作で陪審員の1人であるタイル職人・7号を演じた。[出典6]