2024年1月16日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 片平なぎさ(かたひらなぎさ)は、日本で活動する女優。東京都品川区出身の1959年7月12日生まれ。ホリプロ所属。
- 堀越高等学校の卒業生であり、1974年のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)で合格。翌年にアイドル歌手としてデビュー。同年の1975年に映画『青い山脈』で女優デビューも果たしている。
- 歌手デビューから3年後、歌手活動を休止して本格的に女優業を開始。
- 1983年に放送開始されたドラマ『スチュワーデス物語』(TBS)に出演。本作の大ヒットと共に、主人公をいじめる悪女役を演じ、評判を集めた。
- 2時間ドラマの女王と呼ばれており『赤い霊柩車』シリーズ(フジテレビ)や『小京都』シリーズ(日本テレビ)など、数々の作品に出演している。
▼片平なぎさ(左)
生い立ち
片平なぎさは、東京都品川区出身の1959年7月12日生まれ。身長168cmの血液型はO型。所属事務所はホリプロ。[出典1][出典2]
両親と姉の4人家族であり、幼少時代は内向的で家で1人遊びをよくしていた。[出典3]
芸能活動
片平なぎさは、中学3年生であった1974年に同級生の代わりとして、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)に出演。
予選を通過し、現所属事務所であるホリプロと契約することとなった。[出典1]
アイドル歌手としての活動
芸能事務所のホリプロと契約した片平なぎさは、1975年に『純愛』で歌手デビュー。
持ち前のルックスと明るい性格で人気を博し、同年発売された『美しい契り』で「日本レコード大賞」新人賞を受賞している。
同じ事務所でもある山口百恵の二世としてアイドル歌手活動を行なっていた片平だが、歌は苦手だったそうで、
歌唱力がなくて、いつも仕事場には行きたくなかった。[出典4]
と当時を語っている。[出典4]
また、シンガーで俳優の泉谷しげるから、「いつも辛そうに歌っている」と指摘されたこともあるという。[出典4]
女優としての活動
片平なぎさは歌手デビューした1975年、映画『青い山脈』で女優デビュー。
以降、歌手活動と並行して映画やドラマに出演し、清純派女優としての地位を築いて行った。[出典11]
歌に苦手意識を持っていた片平は、役者としての撮影現場は居心地がいいと感じたという。
また、個人で努力する歌とは違い、ドラマや映画は演者や関係者全員で協力して作り上げていくところがいいそうで、
女優の仕事には、呼吸ができる温かさと空間があったんです。[出典4]
とも語っている。[出典4]
1978年頃からは女優業への転身を決意しており、同年には堀越高校を卒業。女優としての道を本格的に歩み始めた。
以降は連続テレビドラマに多数出演し、1983年放送のドラマ『スチュワーデス物語』(TBS)にも出演。
片平は本作で、主人公をいじめる義手の悪女を熱演し、ドラマの大ヒットと共に注目を集めた。[出典11]
1990年代に入ると、『火曜サスペンス劇場』(日本テレビ)や、『赤い霊柩車』(フジテレビ)、『ご近所探偵・五月野さつき』(TBS)などの2時間サスペンスドラマシリーズに多数出演。“2時間ドラマの女王”と呼ばれるようになる。
またサスペンス作品以外にも、2006年公開の映画『TRICK劇場版2』や、2010年公開の映画『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』などにも出演しており、様々な役柄を演じている。[出典11]
出演作品(映画・ドラマ)
1974年『スター誕生』の出演がきっかけで歌手としてデビュー。その後女優へ転身し、人気女優として多数のドラマに出演。フジテレビ『山村美紗「赤い霊柩車」シリーズ』、テレビ朝日『土曜ワイド劇場「変装婦警の事件簿」シリーズ』、日本テレビ『火曜サスペンス劇場「小京都ミステリーシリーズ」』など、2時間ドラマへの出演が特に多くあり、“2時間ドラマの女王”の異名をとる。また、ABC『新婚さんいらっしゃい』では桂三枝のアシスタントを務め、2000年には自身オリジナルブランド「Nagie」を発表するなど多才ぶりを発揮。その他の主な出演作品に、映画『嫌われ松子の一生』『青い山脈』『トリック劇場版』『インシテミル』、舞台『晶子曼陀羅』『徳川の夫人たち』『風林火山』、CM『山田養蜂場「ローヤルゼリー 王乳の華」』『ロート製薬』など。
出典:タレントデータバンク