2016年6月4日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
生い立ち
東京都中野区に生まれ、日本大学に進学
田中は東京都中野区出身。
高校を卒業してから1年間の浪人生活を経て、日本大学芸術学部演劇学科に入学した。[出典1]
芸能活動
芸歴
お笑いコンビ『爆笑問題』結成
日本大学在学中に相方の太田光と出会い、1988年にお笑いコンビ「爆笑問題」を結成する。[出典1]
NHK新人演芸大賞を受賞
1993年に現事務所「タイタン」を設立し、お笑いコンビ「爆笑問題」はタイタン所属になる。同年に「NHK新人演芸大賞」を受賞する。[出典2]
ボキャブラ天国で出世頭に
1992年から放送された『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演する。そのとき爆笑問題に「不発の核弾頭」というキャッチコピーが付けられた。[出典3]
MCとしての評価
田中裕二は、お笑い以外にラジオやドラマ、バラエティ番組などに出演している。
2016年はテレビ番組12本のレギュラー番組を持っており『サンデージャポン』(TBS系)や『爆報!THEフライデー』(TBS系)などでMCを務めている。[出典4]
MCでの田中の仕切りには番組スタッフも信頼を寄せているといい、視聴者からの評価も高いという。[出典5]
太田光とは年に1〜2回大喧嘩をする
田中裕二は爆笑問題の相方太田光と、毎年、年に1〜2回位大喧嘩をするという。
もうコンビ解散ではないかというくらいの大喧嘩だと、出演した番組で明かしていた。[出典6]
芸風
鋭い毒舌で太田にツッコミ
太田のボケに厳しい口調で対応
相方の太田光のハチャメチャなボケに「そんなわけねぇだろ!」「やめろよ!」「うるせぇよ!」などの鋭いツッコミで笑いを生む。
田中がサンデージャポンで山口もえとの再婚を発表したとき、太田光が「私が(婚姻届を)出しました」とボケたら「おまえじゃねーよ!」と即座に否定ツッコミを入れてスタジオを笑わせた。[出典7]
また、番組終了後に都内で開かれた結婚記者会見でも、太田光が先に会場へ登場し、田中の入籍を勝手にするというハプニングを起こしてしまう。そんな太田光に田中は「なんでお前がしてんだよ!」とキレのあるツッコミを入れて、報道陣を前にコントのようなやり取りを繰り広げた。[出典8]
自分磨きを「していない」という田中裕二
田中裕二は「これまで自分磨きをしたことがない」と、情熱大陸の密着取材で答えている。
自分はこれまで「運だけ」で生きてきたと思っていると明かしている。[出典5]
私生活
子供の頃から野球好き
田中は大の野球ファンで有名。
読売ジャイアンツを応援しており、特に原元監督の大ファン。原監督時代、年に2回巨人のキャンプへ足を運び、原元監督の隣で選手たちの練習風景を眺めていた。[出典1]
競馬で高額配当を受ける
競馬好きとして有名な田中は、2007年の皐月賞で当時7番人気だったヴィクトリー(馬名)の馬券を的中させ、約800万円を手に入れた経験がある。[出典9]
そんな自分の趣味を活かして、1998年4月から放送された競馬バラエティ番組『うまなりクン』(フジテレビ系)でレギュラー出演していた。[出典10][出典11]
番組内では「爆笑問題のウマでもわかる競馬講座」というコーナーがあり、競馬を知らない人向けに競馬用語やレースの紹介などを行っていた。
一般女性と結婚〜離婚
9年間の結婚生活に終止符
田中は2000年に9歳年下の一般女性と結婚。
しかし、2009年10月2日に事務所「タイタン」のファンクラブサイトで、離婚したことを発表した。[出典12]
離婚について田中は、
九年間結婚生活を共に過ごして下さった夏美さんには、感謝の気持ちでいっぱいですが、二人で話し合いを続けてきた結果、離婚をすることが、お互いの将来にとって前向きで、最善の選択であることと考えました。[出典12]
漫才コンビ「爆笑問題」のツッコミ担当。1988年、日本大学芸術学部在学中に太田光とコンビを結成。世相を斬るスタイルの漫才で脚光を浴びる。1993年、漫才では初のNHK新人演芸大賞を受賞。多くのバラエティー番組を持つほか、ラジオ・TVドラマ・映画など、多方面で活躍。父は、人類生き残り研究会会長の肩書きを持つ。主な出演作品に、日本テレビ『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書・田中』、TBS『サンデージャポン』など。
出典:タレントデータバンク