どんな人?
- 真木よう子(まきようこ)は、日本で活動する役者。千葉県出身の1982年10月15日生まれ。そよかぜ所属。
- 仲代達矢主宰の俳優養成所である「無名塾」を経て、2001年公開の映画『DRUG』でスクリーンデビューを果たした。
- 2006年公開の映画『ベロニカは死ぬことにした』で初主演を務め、同年公開の映画『ゆれる』では「第30回山路ふみ子映画賞」の新人女優賞を受賞。
- 翌年放送された岡田准一主演のドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』(フジテレビ)に出演し、人気を得るきっかけとなった。
- 私生活では、2008年に元役者の片山怜雄と結婚。2009年に第1子が誕生しているが、2015年9月に離婚している。
▼真木よう子
生い立ち
真木よう子は、千葉県出身の1982年10月15日生まれ。[出典1]
現在年齢は、42歳。そよかぜ所属。[出典2]
所属事務所「そよかぜ」は家族が経営
真木よう子の所属事務所「そよかぜ」は、真木よう子の家族が経営。[出典2]
マネージャーは弟が務めている。
弟の名前は”ヒトシ”で、2021年放送のバラエティ番組『ダウンタウンなう』(フジテレビ)に真木よう子が出演した際には、マネージャーとして出演している。[出典8]
幼少期は貧乏だった
真木よう子の幼少期は貧乏で、住まいも小さなアパートだった。[出典13]
また、当時の自身については「すごく変わっていた」と語っている。
例えば、空を飛ぶ飛行機に追いつけるはずだと信じ、飛行機を追いかけながら全力で走っていたという。[出典14]
芸能活動
2001年公開の映画『DRUG』でスクリーンデビュー
真木よう子は小学2年生の頃、当時子役として活躍していた役者の安達祐実に憧れ、役者になることを決意。
中学卒業と共に、役者の仲代達矢が主宰する俳優養成所「無名塾」へ入所した。
父親からは猛反対を受けていたが、真木よう子は「無名塾に入ることができないのなら、援助交際する」と押しきったという。
2001年公開の映画『DRUG』でスクリーンデビューを果たした。
以降も、2003年公開の映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』、2004年公開の映画『パッチギ!』などの話題作に出演。
2006年には映画『ベロニカは死ぬことにした』で初主演を務めた。
また、同年公開の映画『ゆれる』では、「第30回山路ふみ子映画賞」の新人女優賞を受賞するなど、役者として高い評価を得るようになる。[出典1]
▼役者の仲代達矢(写真左)
2007年放送のドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』でブレイク
真木よう子は、2007年放送のドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』(フジテレビ)への出演を機にブレイク。
作中ではハードなアクションシーンをこなし、大きな話題となった。[出典3]