2019年11月25日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 若林正恭(わかばやしまさやす)は、日本で活動するお笑い芸人。東京都出身の1978年9月20日生まれ。ケイダッシュステージ所属。お笑いコンビ「オードリー」のメンバーであり、相方は春日俊彰。
- 2000年に春日俊彰と「ナイスミドル」というコンビを結成し、デビュー。2005年にコンビ名を「オードリー」に改名。
- 深夜のテレビ番組で、ビートたけしやお笑いコンビ「とんねるず」が暴れているのを視聴し、「こんな大人になりたい」と思い芸人を目指す。
- バラエティ番組『アメトーーク!』に自らプレゼンする程の「人見知り芸人」だった。しかし、MCを務める上で不利だと感じ、ガールズバーなどに通い人見知りを克服している。
- 2019年11月22日、15歳年下の看護師を務める一般女性と結婚。11月23日に生放送されたラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)での発表がなされた。
▼若林正恭
生い立ち
ラグビー、アメフト経験がある
若林正恭は、東京都出身の1978年9月20生まれ。現在の年齢は46歳。身長169cm。ケイダッシュステージ所属。[出典1]
中学時代はラグビー部に、高校時代はアメリカンフットボール部に所属していた。[出典2]
オードリーとして
お笑い芸人を志したきっかけとして、
大学時代サークルに入っていなかったので、授業中に
よくお笑いのネタを書いていて、そのネタでライブに出てみたらけっこうウケたんですよ。[出典2]
と明かしている若林正恭は、2000年に春日俊彰と共にお笑いコンビ「ナイスミドル」を結成し、芸能界デビューを飾った。
現在のコンビ名である「オードリー」への改名を行ったのは2005年のことである。[出典3]
▼相方の春日俊彰と
オードリーの由来は?
ナイスミドルからの改名に際しては、候補として「ウニイクラ」が挙げられていたというが、華のある名前にしようという結論から「オードリー・ヘップバーン」に由来する「オードリー」に落ち着いたそうだ。[出典4]
オードリー結成秘話
若林正恭と春日俊彰は、中高一貫校の同級生同士。[出典5]
高校時代はともにアメリカンフットボール部に所属し、距離を縮めたそうだ。
高校卒業後は別々の大学に進学したが、後にお笑いコンビ「ナイスミドル」を結成。
春日 に声をかけたのは若林だったそうだが、当時若林はお笑い界を目指して友人ひとりひとりを相方に誘っていたらしく、春日はその8人目だったらしい。[出典4][出典9]
ボケとツッコミが逆だった
オードリーの前身となるお笑いコンビ・ナイスミドルでは、若林正恭がボケを、春日俊彰がツッコミを担当するという、今とは逆の役割分担だった。
ちなみに現在の漫才のスタイルは、若林いわく春日にあわせたスタイルなのだとか。
なんでも春日はすぐに噛んでしまうため、若林は春日の写真を傍らに置いて漫才作りを行っているらしい。[出典4]
下積み時代
オードリーのデビュー当時は仕事がなく、生活するのにも一苦労といったありさまだった。
そのため若林正恭はデビューからおよそ6年の月日がたった頃に、父親から「芸人を辞めろ」「家を出てゆけ」などと叱咤されたそうだ。[出典4]
『M-1グランプリ』で脚光を浴びる
なかなか日の目を見ることができなかったオードリーだったが、2008年に開催された『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で敗者復活戦から勝ちあがり、見事準優勝に輝くという快挙を成し遂げた。
これを機に、オードリーは引っ張りだこに。[出典9]
「すぐに消える」をくつがえす
お笑いコンビが活躍すると、2人で1組のはずなのに、なぜか片方だけの個性が際立ってしまい、もう片方の相方は「じゃないほう芸人」などと揶揄されてしまうケースがあるが、ブレイク当初のオードリーにおける若林正恭の立ち位置も、ちょうど「春日俊彰じゃないほう」だった。
1978年9月20日生まれ、東京都出身のお笑い芸人。お笑いコンビ「オードリー」のツッコミ担当。「R-1ぐらんぷり2008」では、野球のスイングを山手線で説明するというピン芸で準決勝に進出し、2009年「ドリームマッチ09真夏の若手芸人祭り!!」で石田明(NON STYLE)と組んで優勝を果たす。また、映画初出演となった『ひまわりと子犬の7日間』において第37回日本アカデミー賞話題賞を受賞。さらに、著書『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』が斎藤茂太賞を受賞する。
出典:タレントデータバンク