2022年2月4日更新
どんな人?
▼薬丸裕英
薬丸裕英の生い立ち
幼い頃から新聞配達
薬丸裕英は1966年2月19日生まれのタレント。東京都出身、身長170㎝。[出典1]
両親は共に鹿児島県出身で、父は自動車工場を経営。
幼少期は4畳半二間、かつ共同便所というアパートを住居に、小学生の頃から新聞配達で働くという生活を送っていた。[出典2]
ちっちゃな頃から悪ガキで
アイドル時代に、元暴走族で当時、横浜銀蠅の兄弟バンドのボーカルをしていた杉本哲太に、廊下で睨まれでも目を逸らさなかったというエピソードのある薬丸裕英。[出典3]
実は小学生の頃から警察の厄介になる程ヤンチャだったらしく、成長するごとにエスカレートしていったという過去を自身の著書『パパははなまる主夫』で語っている。[出典4]
▼薬丸にガンをつけた杉本哲太
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薬丸裕英のジャニーズ時代
1982年にシブがき隊としてデビュー
薬丸裕英は、1981年放送のドラマ『2年B組仙八先生』(TBS系)に出演。翌年、ドラマで共演した本木雅弘、布川敏和と共にジャニーズのアイドルグループ「シブがき隊」としてデビューした。[出典1][出典5][出典6]
▼シブがき隊メンバーの本木雅弘
ちなみに、シブがき隊がデビューした1982年はアイドル黄金期とも言われ、中森明菜、堀ちえみ、小泉今日子などが登場し、のちに「花の82年組」と呼ばれることとなる。[出典7]
▼花の82年組・小泉今日子
薬丸裕英とシブがき隊
「シブがき隊」は、1982年に「NAI・NAI 16」で歌手としてデビュー。解散する1988年までに、5回にわたり紅白歌合戦に出場するなど活躍を見せた。[出典8]
メンバーそれぞれにイメージカラーが設定されており、薬丸裕英はブルー、本木雅弘がレッド、布川敏和がイエローだった。[出典9]
リーダーは特に決められていなかったが、本木雅弘曰く、「薬丸はリーダータイプ」だったという。[出典10]
▼本木雅弘