2022年1月18日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 藤原竜也(ふじわらたつや)は、日本で活動する役者。埼玉県出身の1982年5月15日生まれ。ホリプロ所属。
- 1997年、蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』にオーディションを経て15歳で主演に抜擢され、芸能界デビューを果たした。
- 2000年に映画『仮面学園』でスクリーンデビューを果たし、同年公開の映画『バトル・ロワイアル』では「日本アカデミー賞」主演男優賞と新人俳優賞をダブル受賞。
- 以降、映画『デスノート』や『カイジ〜人生逆転ゲーム〜』シリーズなど、話題作に多く出演している。
- 私生活では、2013年5月に一般女性と結婚。2016年に第1子が誕生している。
▼藤原竜也
生い立ち
藤原竜也は、埼玉県出身の1982年5月15日生まれ。
現在年齢は、42歳。身長178cm。ホリプロ所属。[出典1]
中学生の頃はサッカーに夢中
藤原竜也は中学生時代、サッカーばかりしていた。
また、勉強は苦手で全くしていなかったという。[出典10]
藤原竜也はそんな中学時代を振り返り、
学校には給食を食べに行くみたいなものだった。よく先生に怒られもしました。それがあるとき、ふと演劇の世界に拾われて、何もわからなかったのにいつのまにか演劇の世界に道が開けた。[出典10]
と語っている。[出典10]
高校を4日で中退
藤原竜也は、高校を4日で中退している。
中退のきっかけとなったのは、当時出演する舞台のために通っていた稽古場で、演出家の蜷川幸雄
と役者の唐十郎の会話を耳にしたこと。
当時の藤原竜也にとって、2人のその会話の内容は「まるで小説のような、非常に高貴な言葉の連続」だったといい、衝撃を受けたという。
そして、その場で”自身が学ぶべき場所は学校ではなく、稽古場である”と強く感じ、高校を中退したと語った。[出典11]
▼演出家の蜷川幸雄(写真右)
芸能活動
1997年に蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』でデビュー
藤原竜也は、1997年に演出家・蜷川幸雄が手掛けた舞台『身毒丸』の主演オーディションに参加。15歳ながら合格を勝ち取り、芸能界入りを果たした。
その後も、蜷川幸雄作品をはじめ、数多くの舞台で座長を務めている。[出典1]
なお、藤原竜也の『身毒丸』の主役抜擢は、ある女性の行動なしにはあり得なかった。
その行動を起こした女性とは、のちに藤原竜也のマネージャーとなった所属事務所の女性社員。
実は、藤原竜也は同オーディションにおいて、書類審査の時点で不合格となっていた。しかし、この女性社員が不合格者の書類の中から藤原竜也を見つけ、合格者の箱に書類を紛れ込ませたという。
その後も不合格になるたびに書類を合格者の中に紛れ込ませ、最終的に藤原竜也が主役の座を射止める結果となった。[出典12]
映画『バトル・ロワイヤル』で注目を集める
藤原竜也は、2000年公開の映画『仮面学園』でスクリーンデビュー。[出典2]
埼玉県出身。5537人の中から舞台『身毒丸』の主役に選ばれ、『身毒丸』のロンドン公演でデビューを果たす。1997年ロンドンバービカン劇場での公演は、15歳で初舞台とは思えぬ存在感で天才新人現ると大絶賛を浴び、翌年の凱旋公演でもその迫力を見せつける。活躍は舞台だけに留まらず、深作欣二監督の映画『バトル・ロワイアル』シリーズに出演を果たす。数多くのテレビドラマ、映画、舞台、で活躍する他、写真集、ビデオ、DVDもリリース。主な出演作品に、フジテレビ『ブルータスの心臓』、NHK『大河ドラマ「新選組!」』、舞台『木の上の軍隊』『ムサシ』『ハムレット』、映画『藁の楯』『デスノート』『カイジ ~人生逆転ゲーム~』など。
出典:タレントデータバンク