どんな人?
- 金子信雄は1943年に文学座所属俳優として芸能界へ。1946年に映画『浦島太郎の後裔』で俳優デビュー。日活全盛期はアクション映画や任侠映画で活躍し、『仁義なき戦い』シリーズでは、小心でずる賢いヤクザの組長役を5作演じた
- 料理好きが高じてオリジナル料理を披露する『金子信雄の楽しい夕食』(テレビ朝日系)が1987年からスタートした。
- 料理関連本を数多く出版している。
芸能活動
金子信雄は初め「文学座」に所属し、俳優として活動していた。[出典1]
1946年には、成瀬巳喜男が監督を務めた映画『浦島太郎の後裔』に出演した。[出典2]この映画は戦後すぐの混乱期に制作されたもので、政治をテーマにした作品である。[出典3]
劇団青俳を結成
1952年には岡田英次、木村功、織本順吉らと共に「青年俳優クラブ」を結成した。1954年には「劇団青俳」に改名し、1979年に解散した。[出典4]
任侠映画で活躍
金子信雄は数多くの任侠映画に出演し、高い評価を得ている。[出典5]
ヤクザ雑誌の編集長を務めた鈴木智彦が選ぶ「やくざ映画BEST5」の中に、金子信雄が出演した映画『仁義なき戦い 頂上作戦』が含まれている[出典5]。この作品はシリーズ4作目で、西日本を二分する2大組織の抗争の中で、山守組と打本会が激突するという内容である。鈴木智彦は
抗争にケツを捲る打本(加藤武)、浪費を重ねて遊びほうける山守(金子信雄)という、相対する親分ふたりが最高にだらしない。でも実は現実でも大方のやくざはみんな親分に困っている。強い人は早々に殺されるし、聡明な人はさっさと辞めていくのがやくざ社会。そんなやくざの現実的な苦悩が描かれている。小林旭演じる武田が『広島極道はイモかもしれんが旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで』と啖呵を切るシーンが見物
と作品の魅力を語っている。[出典5]
また、2013年に東映ビデオから発売された『仁義なき戦い Blu-ray BOX』に収録されている、以下の5つの作品
- 『仁義なき戦い』
- 『仁義なき戦い 広島死闘篇』
- 『仁義なき戦い 代理戦争』
- 『仁義なき戦い 頂上作戦』
- 『仁義なき戦い 完結篇』
の全てに出演している。[出典6]
冠番組『金子信雄の楽しい夕食』(テレビ朝日系)
1987年から1995年まで、金子信雄の冠番組である『金子信雄の楽しい夕食』(テレビ朝日系)が放送されていた。この番組は東ちづるがアシスタントを務め、「料理に不慣れなアシスタントが、放送回を追うごとに料理の腕があがる」という設定のもと制作されていた。[出典7]
著書
国立国会図書館の所蔵資料によると、金子信雄は料理関係の本などを数多く著していることがわかる。以下、国立国会図書館の公式サイトで「金子信雄 著」と検索して判明した金子信雄の著書を紹介する。()内は出版年である。[出典8]
- 『腹が鳴る鳴る』(1975年)
- 『口八丁手包丁 : 酒飲み自身がつくる肴とお菜十三月』(1975年)
- 『男がつくるスタミナ料理の本 : 頭と体の疲れをとる』(1982年)
- 『ネコさんの好色十三月夜』(1982年)
- 『うまいものが食べたくて』(1984年)
- 『ネコさんのスタミナ料理の本 : 頭と体の疲れをとる』(1986年)
- 『金子信雄の楽しい夕食 : 食べ上手・作り上手が教えるおいしいお惣菜十二か月』(1988年)
- 『続・金子信雄の楽しい夕食 : 食べ上手・作り上手が教える四季のおいしいお惣菜』(1989年)
- 『続続金子信雄の楽しい夕食 : 食べ上手・作り上手が教える四季のおいしさ』(1990年)
- 『金子信雄の楽しい夕食 part 4』(1991年)
- 『金子信雄の楽しい夕食 part 5』(1993年)