2022年12月20日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 吉原光夫(よしはらみつお)は、日本の役者・演出家。東京都出身の1978年9月22日生まれ。カムトゥルー所属。
- 1999年に、劇団四季附属研究所へ入所し翌年から同劇団の舞台に出演した。
- 2007年に劇団四季を退団後は劇団「響人」を立ち上げ、出演の他演出を担当。
- 2011年には、帝国劇場開場100周年記念公演『レ・ミゼラブル』で歴代最年少で主演のジャン・バルジャンを演じている。
- 私生活では、2016年に役者・歌手の和音美桜と結婚。2019年には第一子が誕生した。
▼吉原光夫
https://twitter.com/mitsuoYoshihara/status/1498291705187282945?s=20&t=6JAg-SjYEiOBJSIcFlnDuA
生い立ち
吉原光夫は、東京都出身の1978年9月22日生まれ。現在年齢は46歳。身長186cm。カムトゥルー所属。[出典1]
小学生の頃からバスケットボールをしており、将来の夢はプロの選手になることだった。
高校入学もバスケでの推薦であり、大学も推薦入学を狙っていたが不合格となり、生まれて初めて挫折。
進路を決めずアルバイト生活を送っていたところ父から叱られ、専門学校へ入学することを勧められ日本工学院へ入学した。
「演劇部は楽そうだった」という記憶から同校の俳優科に所属していたが、自分には向いていないと退学するつもりだったという。
最後の授業だと出席した際、元劇団四季所属の講師が見せたミュージカル映画『ジーザス・クライスト=スーパースター』に衝撃を受け、退学を取り消している。[出典2]
芸能活動
吉原光夫は1999年に劇団四季附属研究所へ入所し、同年の舞台『ジーザス・クライスト・スーパースター』で役者デビューした。
以降も『夢から醒めた夢』や『ライオンキング』などに出演。
しかし、オンオフの切り替えができず疲れていてもベストを出そうと全力を尽くしてしまい、私生活も荒れてしまったため2007年に劇団四季を退団した。
退団後は演技を勉強するためイギリスへの短期留学などを経て、2009年に劇団「響人」を立ち上げ。
同劇団では出演の他、演出も手掛けている。
2011年には、帝国劇場開場100周年記念公演『レ・ミゼラブル』で歴代最年少で主演のジャン・バルジャンを演じた。
以降も、ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』や『ファン・ホーム』、舞台『23階の笑い』などに出演。
2020年放送の連続テレビ小説『エール』(NHK)では初のドラマ出演を果たし、2023年には大河ドラマ『どうする家康』(NHK)に出演する。
役者のほか、実写映画『美女と野獣』や『ピノキオ』では吹き替え声優を務め、『未来のミライ』では声優を務めた。[出典1][出典2][出典3][出典4][出典5][出典6]
人物
- 私生活では、2016年に宝塚歌劇団出身の役者・歌手の和音美桜と結婚。2019年7月には第一子が誕生した。[出典7][出典8]
- 元劇団四季メンバーで立ち上げた劇団「響人」は、演劇の追求するために活動しているため自身はノーギャラで活動している。[出典2]
- ノープランで生きてきている。
- 自分の直感や針の触れる方向へ向かう生き方をしたい。[出典5]
公式SNS・ブログ
ツイッター
出演
映画
舞台
1999年、劇団四季附属研究所に入所、その後数々の舞台に出演。退団後は元劇団四季のメンバーと共にArtist Company 響人(ひびきびと)を立ち上げる。2011年、帝国劇場開場100周年記念公演『レ・ミゼラブル』において、日本公演の歴代最年少となる32歳で主演ジャン・バルジャン役を演じる。舞台『響人第10回公演「金魚鉢」』『メンフィス』『シスターアクト』『グランドホテル』などにも出演。
出典:タレントデータバンク