2019年7月9日更新
どんな人?
経歴
大塚周夫は7月5日生まれ、東京都出身の声優である。享年85。[出典1]
芸歴として劇団東芸、劇団俳優小劇場、芸能座で活躍後、青二プロダクションに所属。[出典1]
趣味にへら鮒釣りとへら浮子制作、特技にタップダンスが青二プロダクションのサイトで挙げられている。[出典1]
アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ系他)のねずみ男。アニメ『忍たま乱太郎』(NHK)の山田伝蔵、アニメ『ONE PIECE』(フジテレビ系他)のゴールド・ロジャーなどを演じたことで知られている。[出典1]
▼アニメ『ONE PIECE』(フジテレビ系他)の劇場版
洋画の吹き替えの持ち役には、チャールズ・ブロンソンやリチャード・ウィドマークらがいる。[出典1]
大塚周夫の長男は同じく声優の大塚明夫で、父は日展無鑑査の彫刻家である大塚辰夫。[出典2][出典3]
叔父には「東洋のロダン」と称された彫刻家の朝倉文夫がおり、文夫の娘には舞台美術家である朝倉摂がいる。大塚周夫は芸術家に囲まれた家系出身であった。[出典3]
▼声優・大塚周夫(画像右)
https://twitter.com/20foxvideo/status/783306766859788288
生い立ち
戦後ではダンサーとして仕事をする
大塚周夫が役者業の世界に入った理由として、戦前にダンスを習っていたことがきっかけだと、本人は語っていた。[出典4]
彼は虚弱体質だったためにダンスを習わされていたそうで、ソシアルやタップダンスなどバリエーション豊富に踊れた。[出典4]
大塚周夫は中学時代にダンスの他にもボクシングを始めており、美術学校を志望していた。[出典3]
戦後、あちこちのキャバレー(当時は食事をしながら歌や踊りを楽しむ場所)でダンサーが必要になり、そこでダンサーとして活躍していた。[出典4]
膝を痛め、芝居の道へ
大塚周夫は膝に関節炎を患ったため、芝居の道を目指して劇団東芸に入団した。[出典4]
先輩に俳優になりたいと相談したところ、二枚目の映画俳優は無理だろうと説明され、
それでもやりたいなら、どんな役が来ても一生懸命、脇役としてなんでもやらないと役者にはなれない[出典5]
と言われていた。[出典5]
ラジオやテレビでのエキストラ時代
劇団東芸に入団した当時はテレビ放送もなく、大塚周夫は昔話を題材にした芝居を演じることでなんとか生活していた。[出典4]
やがてラジオドラマの仕事が来るようになったが、エキストラの役ばかり。テレビドラマや映画の仕事も入るが、
ほとんどが殴られてのびるチンピラ役ばかりだったけど(笑)。[出典4]
と話していた。[出典4]
だが、大塚周夫の鍛え抜かれた身体は悪役のアクション俳優として重宝され、丹波哲郎には殴られ役として気に入られたとも言われている。[出典3]