2022年8月21日更新
どんな人?
▼奥田瑛二(左から2番目)
生い立ち
奥田瑛二は、愛知県出身の1950年3月18日生まれ。現在年齢は74歳。ゼロ・ピクチュアズ所属。[出典1]
地元である愛知県春日井市で父が市議会議員をしていた関係で、大学在学中は代議士・丹羽兵助の秘書を務めていた。
その後は、同郷の先輩である役者・天知茂の付き人を務めている。[出典2]
芸能活動
奥田瑛二は1976年放送の特撮番組『円盤戦争バンキッド』(テレビ朝日)で主人公を演じ、役者デビューした。
以降は下積み期間を経て、1979年公開の映画『もっとしなやかにもっとしたたかに』でスクリーンデビュー。
さらに同年公開の映画『もう頬づえはつかない』にも出演し、注目を集めた。
1918年からはテレビドラマにも本格的に出演を開始し、ドラマ『宮本武蔵』(NHK)や『男女7人夏物語』(TBS)などで注目されている。
また映画『海と毒薬』で「毎日映画コンクール」男優主演賞、『千利休・本覚坊遺文』で「日本アカデミー賞」優秀主演男優賞を受賞。
2001年には、映画『少女 an adolescent』で映画監督デビューも果たした。[出典2][出典3]
以降も、映画『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』や『アキラとあきら』、ドラマ『脳科学弁護士 海堂梓 ダウト』(テレビ東京)などに出演している。[出典1]
人物
- 私生活では、1979年にエッセイストの安藤和津と結婚。長女は映画監督として活動する安藤桃子、次女は役者として活動する安藤サクラ。
- 芸能界入り後は仕事がほとんどなく、家賃が払えず夜逃げして代々木公園で3ヶ月間野宿生活をしていたことがある。[出典2]
- 結婚後も不倫などの女性問題が多く、長女は「18歳の頃まで父に女性問題があることは一般常識だと思っていた」と語っている。
- 小学生の時には、車ですれ違った知らない女性が自分好みかどうか長女に確認させに行かせたことがある。[出典4]
- 幼い頃は、学校から家まで15分の道のりを道草しながら1時間かけて帰っていた。
- 小学5年生の時に役者の道を志し始めたが、何をすればいいか分からなかったため「取りあえず身体を作ろう」と野球やラグビーを行っていた。[出典5]
- 自身の寿命という意味で人生のゴールラインを決めている。
- 2021年の時点で大きな病気をしたことがなく、栄養バランスを考えて料理を作ってくれている妻のおかげだと考えている。[出典6]
- 役者になりたいと思っていたが父から反対されると分かっていたため言えず、年子の姉に相談するも「なれるはずがない」と言われたが、母だけが「好きにしたらいい」と言ってくれた。[出典7]
出演
映画
- 古都
- 64-ロクヨン- 前編
- 64-ロクヨン- 後編
- 世界から猫が消えたなら
- 男たちの大和 YAMATO
- 鬼火(1997年公開)
- 皆月
- 散り椿
- もう頬づえはつかない
- 一茶
- ブラックキス
- 新・雪国
- うちの執事が言うことには
- Diner ダイナー
- ちゃんと伝える
- 風の外側 (ゼアリズエンタープライズ)
- 劇場版テンペスト3D (角川)
- 10万分の1
- 止められるか、俺たちを
- つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語
- きけ、わだつみの声
- 汚れた心
- この国の空
- 海は見ていた
- ニワトリ☆フェニックス
テレビ番組
- 運命に、似た恋
- 独眼竜政宗
- 大貧乏
- 花燃ゆ (NHK)
- 男女7人夏物語
- 巨悪は眠らせない 特捜検事の標的
- ニワトリ★スター
- 硝子の葦
- 母、帰る~AIの遺言~
- ハル 〜総合商社の女〜
- 慶次郎縁側日記 第1シリーズ
- 慶次郎縁側日記 2
- 慶次郎縁側日記 3
- 巨悪は眠らせない 特捜検事の逆襲
- 白洲次郎
- チェイス~国税査察官~
- 黒革の手帖(2017)
- 花の乱