2024年2月20日更新
どんな人?
- 肝細胞癌のため、2020年12月7日に78歳で死去。
- 小松政夫(こまつまさお)は日本で活動したコメディアン、タレント、俳優、声優。1942年1月10日生まれ。福岡県福岡市出身である。本名は松崎雅臣。最終学歴は福岡県立福岡高等学校定時制課程普通科。
プロフィール
本名 | 松崎雅臣 |
出身地 | 福岡県福岡市 |
最終学歴 | 福岡県立福岡高等学校定時制課程普通科 |
デビュー年 | 1962年 |
生い立ち
1942年、福岡県に生まれる。[出典1]
俳優になるという夢を抱え、上京した小松政夫。しかしチャンスは訪れず、しばらくは自動車のセールスマンとして働いていた。トップクラスの営業成績を誇り、当時の月収は現在で言うと100万円相当であったとのこと。[出典2]
しかし、夢を諦めきれなかった小松政夫はセールスマンを辞め、植木等の付き人を募集する公募広告に応募し、付き人として採用される。[出典2]
付き人としての4年間、ハードな日々を過ごしたものの、植木等の教えの下で芸人としての土台が形作られた。またこの頃、自身の代表的なギャグ「知らない、知らない、知らなぁーい」が誕生した。[出典2]
芸能活動
植木等の付き人を務めていたある日、移動中の車内で植木等からこう告げられる。[出典2]
明日からこなくていい。事務所(渡辺プロ)の社長に交渉して、お前を所属タレントにすることになったから、明日判子を持って事務所に行け
これにより、小松政夫はタレントとしてのデビューが決定した。[出典2]
現在はコメディアンの他に、俳優としても活動している。[出典1]
コメディアンとしての活動
小松政夫はバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)に出演し、コメディアンとしてのキャリアを歩み始めた。[出典3]
1960年代
歌謡バラエティ番組全盛期のこの頃、「ハナ肇とクレージーキャッツ」らとともに活躍していた。[出典1]
1970年代
コメディアン・伊東四朗との掛け合いによるコントを披露していた。[出典1]
1980年代
タモリ、団しん也、イッセー尾形のようなピン芸人らとの交流により、サブカルチャーの要素が入ったネタを創作。それ以前とは違う種類の笑いで、お茶の間を賑わせていた。[出典1]
2011年6月20日には、社団法人日本喜劇人協会の10代目会長に選出された。70歳を超えた現在も、日本を代表するコメディアンとして活動している。[出典1]
代表的なギャグ
小松政夫の代表的なギャグとしては、以下が挙げられる。[出典3]
- 「どーかひとつ」
- 「長ーい目で見てください」
- 「知らない!知らない!知らない!もー」
映画・テレビドラマへの出演
映画
1965年に『大冒険』に出演して以来、数多くの映画に出演している。2015年には『岸辺の旅』に出演し、公開初日には舞台挨拶を行った。[出典1]
代表的な作品としては、以下が挙げられる。[出典1]
- 『クレージーの怪盗ジバコ』
- 『極道の妻たち』
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE』
- 『20世紀少年 第2章 最後の希望』
テレビドラマ
1969年に『青空に飛び出せ!』(TBS系)に出演して以来、数多くの作品に出演している。近年は以下の作品に出演している。[出典1]
- 『孤独のグルメSeason4 特別編!真夏の博多出張スペシャル』(テレビ東京系)
- 『俺たち絶体絶命!』(BS-TBS)
- 『牙狼<GARO>〜MAKAISENKI〜』(テレビ東京系)
- 『相棒 season9』(テレビ朝日系)
- 『夏の恋は虹色に輝く』(フジテレビ系)
私生活
若さを追求
小松政夫は現在も軽やかな動きを披露しているが、本人は満足していないようで
年をとったつもりはないですが、ウィンドウを見ると背中が曲がってたりするので、シャンとしようとか、姿勢に気をつけてる。足腰が弱いのはダメよ。若さを保つにはどうしようかって考えてます
と語り、若さを追求している。[出典3]