2021年9月17日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
▼小林薫
生い立ち
小林薫は、京都府出身の1951年9月4日生まれ。
現在年齢は、73歳。ニコフイルム所属。[出典1]
兄の影響で演劇に興味を持つ
小林薫は、府立洛東高校を中退。
兄が演劇活動をしており、その影響で芝居に興味を持つようになった。
その後、唐十郎主宰の劇団「状況劇場」の京都公演を観て上京。
1971年に同劇団に入団した。[出典10]
▼劇団「状況劇場」の主宰・唐十郎(写真中央)
https://twitter.com/spice_stage/status/1330632157119750144
芸能活動
1977年公開の映画『はなれ瞽女おりん』でスクリーンデビュー
小林薫は、唐十郎が主宰する劇団「状況劇場」に所属。同劇団で10年間、看板俳優として活躍したのちに退団した。
その後、1977年公開の映画『はなれ瞽女おりん』でスクリーンデビュー。
1980年代の大ヒットドラマ『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(TBS)をはじめ、数多くのドラマに出演した。
1985年には映画『それから』、『恋文』で「日本アカデミー賞」の最優秀助演男優賞をはじめとする数多くの映画賞を受賞。その高い演技力が評価された。
以降もドラマ『ナニワ金融道』シリーズ(フジテレビ)や、ドラマ『Dr.コトー診療所』シリーズ(フジテレビ)などの人気作品に多数出演。
2007年には、映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で「日本アカデミー賞」の最優秀助演男優賞を再度受賞している。[出典2]
同名漫画を実写映像化したドラマ『深夜食堂』シリーズ(TBS)では主演を務めており、繁華街で深夜だけ営業する食堂のマスターを演じている。同シリーズは高い人気を誇っており、2015年には劇場版『深夜食堂』が公開された。[出典2][出典5]
声優やナレーターとしても活躍
小林薫は、役者としてだけではなく声優としても活躍。1997年公開のアニメ映画『もののけ姫』、2006年公開のアニメ映画『ゲド戦記』などに出演している。[出典4]
その中でも映画『もののけ姫』は公開当時、日本映画における歴代興行収入1位を記録。大ヒットとなった同作で、小林薫は”シシ神”の首を狙う男・ジコ坊の声を担当した。[出典3][出典4]
さらに、ドキュメンタリー番組『美の巨人たち』(テレビ東京)ではナレーションを務めている。[出典2]
人物
- 酒の失敗が多い。酔っ払って畑で寝てしまい、風邪をひいて舞台の役を降ろされたこともある。[出典11]
- 3年ほど自宅を持たなかった時期がある。その期間は居酒屋の一角で寝泊まりしていたという。[出典11]
- アルコールを飲む際は、ビール・日本酒・芋焼酎・ハイボールの順で飲む。[出典12]
- “男性は食べ物にこだわりを持たない方が良い”という考えを持っており、その場の食事を美味しく食べることができればそれでいいと思っている。[出典12]
- ゴルフ好きで、ゴルフ場「日光カンツリー倶楽部」の会員。[出典13]
- プライベートではあまり料理をせず、枝豆を茹でて塩を振る程度だという。[出典14]
- 仕事が午後からの時は、午前中に家事をこなす。若い頃はまったく家事をしなかったが、誰かがやるのを待つよりも自分がやった方が早いと考えるようになったと語っている。[出典14]
- うどんにこだわりを持っている。京都出身のため、コシのあるうどんをうどんと認めていない。また、カレーうどんには油揚げを入れるという。[出典15]
- 自身の代表作でもある『深夜食堂』シリーズ(TBS)制作のきっかけは、小林薫が原作を監督に紹介し、打診したことがきっかけとなっている。[出典16]
- “思い入れのある料理”を問われた際、「青菜とお揚げを炊いたもの」、「身欠きニシンとナスを炊いたもの」などといった京都の”おばんざい”を挙げている。[出典12]
数多くの映画・ドラマに出演し活躍する。数々の賞を受賞するなど、名俳優としてのその存在感は日本映画界に欠かせない一人である。また、テレビ東京『美の巨人たち』などのナレーターとしてもお馴染みに。主な出演作品に、映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』『海炭市叙景』『舟を編む』『旅立ちの島唄~十五の春~』『夏の終り』ほか多数。
出典:タレントデータバンク