2022年2月4日更新
どんな人?
- 小野武彦(おのたけひこ)は、日本で活動する俳優。東京都出身の1942年8月1日生まれ。シス・カンパニー所属。
- 俳優座養成所卒業後、文学座に入団。映像作品などで主に脇役として活躍していたが、仕事が減り俳優業を辞めようか考えた時期があった。
- 1976年から放送開始されたドラマ『大都会』シリーズ(日本テレビ)に出演。シリーズを重ねるうち日本テレビの看板作となり、自身も注目を浴びた。
- 1990年代には、脇役ながらも映画『ラヂオの時間』やドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ)など、複数の話題作に出演。存在感のある演技を披露し話題となった。
▼小野武彦(左)
最新情報
作品名 | 期間 | 主演 |
---|---|---|
映画『仮面病棟』 | 2020年3月6日公開 | 坂口健太郎 [出典1] |
舞台『この声をきみに〜もう一つの物語〜』 | 2020年3月6〜22日 | 尾上右近 [出典2] |
映画『一度も撃ってません』 | 2020年4月24日公開 | 石橋蓮司 [出典3] |
生い立ち
小野武彦は、東京都狛江市出身の1942年8月1日生まれ。シス・カンパニー所属。[出典4]
多才だった祖父
小野武彦の母方の祖父は、小唄の作詞で有名な小野金次郎。祖父は裕福な質屋の生まれであり、神奈川県保土ヶ谷で生活していたという。[出典5]
幼い頃から本好きだった祖父は海外を夢見て、横浜の英語学校へ通い、横浜グランドホテルのボーイを経て、読売新聞社へ入社。
昭和7年、コメディアンであるチャーリー・チャップリン来日時に密着取材を行なっており、この時直筆のサインをもらっている。
また、祖父はこの頃から戯曲や小説、歌舞伎の脚本執筆などを開始。当時はまだ無名だった作家・山本周五郎と文学について議論を交わすなどしていたという。
脚本執筆は思うように功績を残せなかったそうだが、小唄が流行り始め作詞の仕事が舞い込むようになり、成功を収めている。[出典5]
秘密を抱えていた父と家族生活
小野武彦の父・小野正之は職業軍人を目指し、期待の将校としての人生を歩んでいる最中、小野家から縁談の話が舞い込み婿養子として結婚。第1子である小野武彦と、第2子である洋子を授かり、終戦を迎えた。[出典5]
軍人であった父は職を失い、義両親と同居。その後石油会社に就職し、ようやく職と収入を得た父だったが、やがて家に帰らなくなった。
そんな中、父の会社に泊めてもらおうとした小野は、父には別の家があることを偶然知ったという。
小野武彦の母・きくは、子供達の前では決して父の悪口は言わなかったという。しかし、父は家にお金を入れておらず、小野ら家族の面倒を見たのは祖父だった。
結局父の二重生活は18年続いたそうで、後に両親は離婚している。[出典5]
芸能活動
役者としての道を苦難
小野武彦は玉川大学文学部を中退し、20歳の時俳優座養成所へ入所。
家族は役者になる夢を応援してくれていたそうで、祖父からはチャップリンのサインをプレゼントされている。[出典4][出典5]
1966年には文学座へ入団し、舞台『美しきものの伝説』で、芸名「黒木進」として役者デビューを飾った。
その後1967年公開の映画『情炎』で映画デビューを果たし、1975年から芸名を本名に改め、1976年放送のドラマ『大都会・闘いの日々』(日本テレビ)に出演。刑事役でレギュラー出演を果たし、一気に知名度を上げた。
以降は舞台を中心に活動するものの、『北の国から』(フジテレビ)や『ふぞろいの林檎たちⅡ』(TBS)などの人気ドラマに出演。
1990年以降は存在感のある名バイプレイヤーとして活躍し、ドラマ『家なき子』(日本テレビ)や『王様のレストラン』(フジテレビ)などに出演している。
1997年から放送開始され、スペシャルや映画化もされた大ヒットドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ)にも出演。主人公が配属された湾岸署の刑事課長を演じ、再びブレイクを果たした。
以降、数々の話題ドラマや映画に出演し、様々な役柄を巧みに演じ分けている。[出典4]