2019年10月28日更新

出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 市村正親は俳優。劇団四季出身で、『オペラ座の怪人』で主役を務めるなど劇団の看板俳優だった。退団後も舞台を中心にキャリアを重ねる。
- 2007年、これまでの功績により紫綬褒章を受章している。
- プライベートでは2005年に女優の篠原涼子と結婚。2008年と2012年に子供を授かり、市村は59歳で父親になっている。
経歴
市村正親は1973年に劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』でデビュー。
劇団四季の『オペラ座の怪人』初演では主役の「怪人」役を演じるなど、劇団四季の看板俳優として活躍した。[出典1]
劇団四季を退団後はストレートプレイやミュージカルだけでなく、テレビドラマなどにも出演している。
2015年には蜷川幸雄監督の舞台『マクベス』に出演した。[出典2]
芸能活動
市村正親は俳優西村晃の付き人をしながら役者を目指していた。
劇団四季のオーディションを受けた市村正親は、「何が何でもまずは劇団四季に入りたい」という気持ちから、オーディションでは主役級を狙うのではなく、「倍率の低い群衆や一番端役を希望することで合格することができた」と明かしている。[出典3]
劇団四季には17年間在籍。平成元年には『紅白歌合戦』(NHK)に『オペラ座の怪人』で出演し、歌を披露した。[出典2]
舞台俳優としての活躍
市村正親は劇団四季を退団後、舞台、テレビ、映画への出演など、幅広く活躍している。
舞台出演では数年前に出演した作品の再演で再度出演することもあるという。
2015年に上演された『ART』は、1994年にフランス・パリで初演されたコメディ作品。
日本では1998年に市村正親、平田満、益岡徹の3人で初演し、2015年に同じ出演者での再演となった。[出典4]
市村正親は16年前の初演と比べ、
「16年前といっても昨日のことのよう。ただ稽古をしていていると、ふたりのしわの数とか白髪とかが気になって、多分相手も同じ所が気になっているんだろうな、と思っています(笑)」[出典4]
と話している。またプライベートでも変化があった市村正親は、
「16年前はまだ結婚していなかったし、子供もいなかった。今回はふたりの息子と自分の3人で、家でARTごっこをしています(笑)。僕が平田さんの役でいじめられていますね(笑)」[出典4]
と語った。
役者魂
市村正親は2014年7月に早期の胃がんを公表し、3ヶ月間休養していたがその後は様々な作品に相次いで出演した。
自身の仕事ぶりに市村は「『ほんとに病気してたの?』って感じだった」と自分自身で驚いてはいたが、役者としての本領を見せつけた。
また2015年9月の舞台出演中に、右ひざ半月板を損傷して手術を受けた。
しかし市村は術後わずか40日で舞台復帰を果たし、復帰後の舞台ではひざをつくシーンや軽快なステップでのダンスを熱演し、役者魂を見せた。[出典5]
声優としても活躍
市村正親は声優としても活躍している。
1998年には『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』でのミュウツー役や、日本音楽事業者協会の創立50周年を記念して製作された劇場アニメ『ジョバンニの島』での主人公の父親・辰夫役などでも話題を集めた。[出典6]
2015年3月公開のアニメーション映画『映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』で、市村正親は悪役の宇宙海賊の首領・イカーロス役としてゲスト出演した。
完成披露試写会に出席した市村正親は、『ドラえもん』に声優として出演したことについて、[出典7]
「映画では悪役ですが、本当はとっても優しくていいお父さんです! 大好きなドラえもんの映画に出られて、俳優にやっていて本当によかった」[出典7]
と話している。
CMで”ダンディー”キャラ脱却?
2012年、市村はキリンビールの「キリンワインカクテル ワインスプリッツァ 白」のCMキャラクターに起用された。
大のワイン好きとして知られる市村は、好物のCM撮影とあって終始ハイテンションだった。
映像では普段のダンディーなイメージとはひと味違う、“かなりはじけた”姿をいきいきと披露した。[出典8]
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私生活
八重沢真美と離婚
市村正親は女優・篠原涼子と結婚する前、「劇団四季」の女優・八重沢真美と結婚していた。
2001年秋に舞台「ハムレット」で市村正親と篠原涼子が出会った時、すでに八市村正親と八重沢真美は2003年に離婚が成立した。[出典9]
篠原涼子と再婚
市村正親は2005年に歌手で女優の篠原涼子と結婚。24歳の年の差があることで話題となった。
『徹子の部屋』出演時には、当時7歳と3歳の2人の息子のエピソードを紹介。
市村正親は長男はコーラスラインのダンスを「教えて教えて」とねだってくるなどと話しており、2人の息子ががかわいくてしかたないと語っていた。[出典10]
母親は第二子誕生翌日に他界
市村正親の母親は2012年に87歳で他界。
市村正親と妻・篠原涼子に第二子が誕生した翌日の事だったという。
篠原涼子は2才のときに母親を交通事故で亡くており父子家庭で育ったため、市村正親の母親を実の母のように慕っていたという。[出典11]
妻・篠原涼子の支えで胃がんを克服
2014年6月に早期胃がんであることを告白した市村正親は、同年9月に復帰会見を開き、
「無事に胃がんを克服することができました」
「元気に戻ってきました」[出典12]
と挨拶し報道陣を安堵させた。
市村正親は手術前より4.5キロほど体重が減ったと明かし、妻の篠原涼子が献身的に支えてくれたと話した。
また、術後は妻・篠原涼子が回復のために「離乳食」を作ってくれたそうで、市村正親は
「(篠原が)『また赤ちゃんが生まれちゃった』といいながらやってくれました」[出典12]
と照れ笑いしながら明かしていた。
また、誕生日を迎えた妻に何かプレゼントをしたか?と報道陣から問われた市村正親は、
妻・篠原涼子が
「『あなたが健康でいてくれるのがプレゼント』だと言ってくれました」[出典12]
と仲睦まじいエピソードを披露した。
市村正親はファンに向けて
「ご心配をお掛けしましたが、元気に戻ってきました。また、劇場で元気な市村の芝居を見てもらえたらと思います」[出典12]
とメッセージを語った。[出典12]
“イクメン”認定
市村は2013年に行われた「イクメン オブ ザ イヤー2013」で、”イクメン”に認定された。
“イクメン”とは、子育てに積極的に参加する父親のことを表す略語である。
女優・篠原涼子との間に2人の子供がいる市村は
演劇生活ちょうど40周年で、演劇以外の賞をいただけるというのも妻と子どもがあってこそだと思ってます。[出典13]
と家族に感謝をし、受賞を喜んだ。
また2人の子供に恵まれ、毎日子どもたちとの時間が持てることを幸せに感じていることを明かした。
子どもたちが幼稚園に行くつかの間の時間が天国。
仕事場でも子どものことを考えて、「早くお家に帰りたい」と思う。
今までの4倍くらい楽しみが増えている。[出典13]
と満面の笑みを浮かべ、幸せいっぱいに語っていた。[出典13]
家庭では日曜大工も
市村正親は家庭では日曜大工や工作をするという。
息子のために獅子舞を作ったり、子供用の小さな机や小さな椅子、家族で座れることのできる長椅子などを作ったと、出演した番組で紹介していた。[出典10]
交友関係
1973年に劇団四季『イエス・キリスト=スーパースター』でデビュー。以後、退団後もミュージカル、ストレートプレイ、一人芝居など様々な舞台に意欲的に挑戦し、数々の賞を受賞してきた日本を代表する舞台俳優。映画、テレビでの活躍も多い。主な出演作品に、舞台『ミス・サイゴン』『海の上のピアニスト』『オペラ座の怪人』『炎の人』、日本テレビ『ATARU』、映画『ベロニカは死ぬことにした』『テルマエロマエ』など。
出典:タレントデータバンク