2022年2月4日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 篠原涼子(しのはらりょうこ)は、日本で活動する役者・歌手。群馬県出身の1973年8月13日生まれ。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。
- 1990年に、ダンスアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」のメンバーとして、本格的に芸能界デビュー。
- 1994年には小室哲哉プロデュースにより、ソロ名義で発表した楽曲『恋しさとせつなさと心強さと』が大ヒットを記録した。
- 2001年に舞台『ハムレット(2001年版/演出・蜷川幸雄)』へ出演して以降役者としての活動に力を入れ、「自立した格好いい女性」を多く演じる。
- 2005年に、24歳年上の役者・市村正親と結婚。男児2人に恵まれている。しかし、2021年7月24日に離婚したことを発表した。
▼篠原涼子
生い立ち
篠原涼子は、群馬県出身の1973年8月13日生まれ。B型。
現在年齢は51歳。身長162cm。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。[出典1]
祖母に預けられて育つ
篠原涼子は、母親を早くに亡くしている。
また、父親も出稼ぎで不在にすることが多く、祖母に預けられていた。
そんな祖母は、篠原涼子の好物が納豆であったことから、お弁当にびっしりと納豆を詰めたことがある。
篠原涼子はそのお弁当を開けた瞬間に、驚きすぎて1度蓋を閉めてしまったという。[出典17]
高校在学中に上京
篠原涼子は地元の高校に3ヵ月通学したのち、上京。
寿司屋で働きながらアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」として活動していた。
そのため、当時は制服を着て電車通学をしているコギャルを見かけると、エネルギッシュでよいなと憧れていたという。[出典16]
また、高校時代に戻れるとしたらという質問には、
高校生に戻れるなら、英語をしっかり勉強したいな。あと、当時はダンスをやっていたんですけど、21歳くらいでやめちゃったんです。続けておけばよかったと思います。[出典16]
と回答している。[出典16]
芸能活動
ダンスアイドルグループのメンバーとして芸能界デビュー
篠原涼子は、1990年にダンスアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」のメンバーとして、本格的に芸能界デビュー。
1992年に『スコール』、1994年に『Sincerly』と2枚のシングルを発売した。[出典1]
同グループは篠原涼子の他にもラップユニット「EAST END×YURI」の市井由理や、歌手・タレントの穴井夕子を輩出。
2013年には約17年の時を経て、全国8,800名の中から選び抜かれた新メンバー6名で復活している。[出典2]
シングル『恋しさとせつなさと心強さと』が大ヒットを記録
篠原涼子は、1994年に小室哲哉プロデュースによってソロ名義で歌手デビュー。
「篠原涼子witht.komuro」として発売したシングル『恋しさとせつなさと心強さと』が大ヒットを記録した。
同曲は同年公開の映画『ストリートファイターII』の主題歌として起用されている。[出典1]
映画・ドラマ・舞台と幅広く活躍
篠原涼子は、2001年公演の舞台『ハムレット(2001年版/演出・蜷川幸雄)』に出演。
以降、役者としての活動に力を入れ、「自立した格好いい女性」を多く演じる。[出典3][出典4]
1990年、アイドルグループ「東京パフォーマンスドール」に加入し、以後、アイドル・タレントとしてCDリリース、バラエティ番組などで活躍。1994年には小室哲哉プロデュースでシングル『恋しさとせつなさと心強さと』をリリースし、売上200万枚以上を超える大ヒットを記録、NHK紅白歌合戦にも出場を果たす。2001年頃から本格的に女優業に移行し、以後、日本テレビ『anego』『ハケンの品格』、関西テレビ『アンフェア』などヒット作に主演。その他主な出演作は、フジテレビ『ラスト・シンデレラ』『民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~』、映画『ステキな金縛り』『北の桜守』、舞台『天保十二年のシェイクスピア』など他多数。
出典:タレントデータバンク