どんな人?
- 武田鉄矢(たけだてつや)は、日本で活動する俳優、歌手。福岡県福岡市博多区出身の1949年4月11日生まれ。ネクストワン所属。
- 大学中退後、1972年に3人組のフォークグループ「海援隊」のボーカル、リーダーとしてデビュー。1973年に発表した『母に捧げるバラード』が大ヒットし、翌年の『NHK紅白歌合戦』(NHK)に出場している。
- 1977年公開の映画『幸福の黄色いハンカチ』に出演。演技が好評価を受け、俳優として注目を集める。同時に、人気が低迷していた「海援隊」も再び注目された。
- 1979年に放送開始されたドラマ『3年B組金八先生(第1シリーズ)』(TBS)で、主人公の教師・坂本金八を演じ、「海援隊」として主題歌『贈る言葉』も担当。ドラマ、主題歌共に大ヒットを記録した。NHK紅白歌合戦
- 幕末の志士である坂本龍馬のファンとしても知られており、坂本龍馬の研究をするため大学進学を目指すほどだった。
▼武田鉄矢(右)
生い立ち
武田鉄矢は、福岡県福岡市博多区出身の1949年4月11日生まれ。[出典1][出典2]
現在年齢は75歳。ネクストワン所属。[出典3]
幕末の志士である坂本龍馬の大ファン
武田鉄矢は、幕末の志士である坂本龍馬の大ファンとして知られている。
坂本龍馬をテーマとしたトークショーでは、坂本龍馬の魅力について、
失敗も多い男だった。間違いの数が人の個性をつくっていくことを、私たちに教えてくれた。[出典4]
と語った。[出典4]
また、大学受験時代は、高知大学で坂本龍馬について学ぶことが目標だった。
そのため、毎日坂本龍馬の写真を頭に下げていたという。
しかし、高知大学には合格ができず、福岡教育大学に入学することとなった。[出典5]
https://twitter.com/CINRANET/status/1055400641667883013
福岡教育大学を中退
武田鉄矢は福岡教育大学を中退している。
武田鉄矢が大学に在学していた1970年代は学生運動が盛んで、勉強できるような環境ではなかったという。[出典5]
芸能活動
フォークグループ「海援隊」のボーカルとしてデビュー
武田鉄矢は、1970年頃に自身をリーダーとしたフォークグループ「海援隊」を結成。[出典6]
メンバーは、中牟田俊男・千葉和臣。
1972年にアルバム『海援隊が行く』で、デビューした。
1973年に発表した『母に捧げるバラード』が大ヒットし、翌年の1974年に『NHK紅白歌合戦』(NHK)に出場。
また、1979年に放送された武田鉄矢主演の人気ドラマ、『3年B組金八先生(第1シリーズ)』の主題歌『贈る言葉』も大ヒットし、同曲は海援隊の代表作となっている。[出典7]
▼中牟田俊男
https://twitter.com/oricon/status/752440058083282944
▼千葉和臣(写真右)
https://twitter.com/rkbr_info/status/1018352388753592322