2020年2月20日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 洞口依子(どうぐちよりこ)は、日本で活動する女優。東京都武蔵野市出身の1965年3月18日生まれ。テアトル・ド・ポッシュ所属。
- 高校時代に週刊誌『週刊朝日』の表紙を飾り、その後エピックソニーの「スターメイキングコンテスト」で優勝。雑誌『GORO』のモデルとして芸能界デビューを果たした。
- 1985年公開の映画『ドレミファ娘の血が騒ぐ』に主演し、女優デビュー。
- 以降、ドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ)や『ふぞろいの林檎たちⅥ』(TBS)などの話題作に出演し、人気を博した。
- 2004年に子宮頸癌であることが判明。闘病生活から復帰までを書いた著書『子宮会議』を出版した。
▼洞口依子
https://twitter.com/noranecotv/status/1212174914251132928?s=20
生い立ち
洞口依子は、東京都武蔵野市出身の1965年3月18日生まれ。現在年齢は59歳。テアトル・ド・ポッシュ所属。[出典1][出典2][出典3]
芸能活動
洞口依子は高校時代に雑誌『週刊朝日』の表紙を飾り、「EPICソニー・スターメイキングコンテスト」で優勝。グラビアアイドルとして芸能界入りを果たした。
その後、写真家・篠山紀信撮影の雑誌『GORO』でヌードグラビアを披露し、話題を集めた。
1985年公開の映画『ドレミファ娘の血が騒ぐ』に出演し、役者デビュー。本作では”恥じらい理論”の実験台にされるヒロイン・秋子を演じ、フワフワとした独特な存在感で注目を集めた。
以降、『マルサの女2』や『部屋/THE ROOM』などの話題作に出演。映画だけでなく、ドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ)や『武蔵/MUSASHI』(NHK)、『ふぞろいの林檎たちⅣ』(TBS)などのヒット作に出演している。[出典1]
出演作品(映画・ドラマ)
90年代最大のヒットドラマ『愛という名のもとに』
洞口依子は、1992年放送のドラマ『愛という名のもとに』(フジテレビ)に出演。主演は鈴木保奈美。
本作は、90年代に放送されたドラマの中で、最大のヒット作と言われている。大学時代同じボート部に所属し、硬い絆で結ばれていた7人は、恩師の葬式で久しぶりの再会を果たす。しかし、社会へ出た時の不安や葛藤、絶望感などをそれぞれ抱えていた。
洞口は本作で、7人のうちの1人・飯森則子を演じている。[出典4]
人物
子宮頸癌で闘病生活
洞口依子は、子宮頸がんで8時間に及ぶ手術を経験している。
始まりは2003年の夏。生理不順が始まり、同年冬頃には出血が止まらなくなり、炎症のような症状もあったという。
自身の身体に明らかな異変が起きていたが、そのまま病院を受診することなく2004年を迎えた。
ようやく同年1月に、知人から紹介された病院へ。しかし、その日のうちに別の病院を紹介されたという。
お母さんが筋腫もちだから私も子宮筋腫かなぁ。[出典5]
と洞口は思っていたそうだが、医師から「子宮頸がんの疑いがある」と診断された。
翌日から詳しい検査が始まったが、結果はやはり子宮頸がんだったという。
ステージIb2期出会った洞口は、子宮・卵巣・骨盤内のリンパ節・靭帯・膣の一部を全て取る手術を勧められた。
しかし、結婚後まだ数年しか経っておらず、子供が欲しいと思っており、何より“女でなくなる恐怖”を覚えたという。
どうにか無傷で治療ができないかと考えていた洞口だったが、今を逃すと手術で治癒する可能性が低くなると知り、手術を決意。[出典5]
退院してから仕事復帰まで
8時間の手術を無事終えた洞口依子だったが、リンパ節にがんの転移が見つかり、放射線と抗がん剤の治療が続いた。
2ヶ月の入院期間中は、術後の後遺症などのリハビリに励んだという。
無事退院はしたものの、自宅に帰っても何もする気が起きなかったそうで、元気になる方法が分からなかった。
女優として活躍。主な出演作はWOWOW『コールドケース2~真実の扉~』、TBS『ホテルコンシェルジュ』、テレビ朝日『警視庁・捜査一課長』、テレビ東京『シェフは名探偵』、Disney+『SHOGUN -将軍-』、邦画『飛べ!ダコタ』『沈黙 -サイレンス-』『白鍵と黒鍵の間に』、著書『子宮会議』など他多数。
出典:タレントデータバンク