2021年1月8日更新
そんな父が出会ったのが、のちに浅田真央の母親となる匡子さんだった。[出典18]
母・匡子さんはコーチ、トレーナー、マネジャーを務め、幼い頃から姉の浅田舞を交えた3人4脚でフィギュアスケートに打ち込んできた。
浅田真央にとって母親は自身のすべてだったという。[出典19][出典20][出典21]
▼最愛の母に支えられ
2011年12月9日、そんな匡子さんが肝硬変で帰らぬ人に。
最愛の母の死に立ち会えなかった浅田真央のショックは相当なものだったが、直後に開催された全日本選手権では涙の優勝を勝ち取った。[出典18][出典19][出典20]
▼母に捧げる金メダル!
【ソチフィギュアスケート】
— 浅田真央♡ふぁん (@maomao_fan_) 2018年4月13日
浅田真央選手
貴女は
心技体に秀でた不屈のアスリート
真の銀盤の女王です
ありがとうございました! pic.twitter.com/h8YEekYX4Z
浅田真央の姉
浅田舞と浅田真央に確執!
浅田真央の姉でフィギュアスケーターの浅田舞は、過去にあった姉妹間の確執を告白している。
先にスケートを始めた姉の浅田舞は、母・匡子さんからのスパルタ指導を受けて実力を開花させていたが、2004年に開催された全日本ジュニア選手権では当時14歳だった妹の浅田真央が優勝し、16歳だった浅田舞が準優勝という結果に終わった。[出典22]
▼姉・浅田舞と妹・浅田真央
4月13日 #喫茶店の日 の朝にチェックしたい芸能注目ニュースTOP3
— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2018年4月12日
第3位「 #浅田真央 さん、姉 #浅田舞 の熱愛報道『テレビで知った』」https://t.co/4K4hQJ0ySU#TBSラジオ#たまむすび#Taka#ONEOKROCK#芸能ニュース pic.twitter.com/RLyQ4pD7NB
その後、周囲から、
綺麗だからその路線で頑張ればいい[出典22]
と言われ始めると、浅田舞は体型維持に奮闘。気にしすぎるあまり食事がまともにとれなくなり、一時は体重が30キロまで落ちたという。[出典22]
▼多感だった
浅田舞、結婚予定について聞かれ「全然無さそう」https://t.co/sq5xEOvkkW pic.twitter.com/00oGAb2krN
— LINE NEWS (@news_line_me) 2018年4月15日
2006年には妹について行く形でアメリカに練習拠点を移すも、スケートに身が入らず今度は過食に走って激太り。そのせいか、母・匡子さんの目は妹にばかり向くようになり、ついには、
『極力、妹に会わないでくれ』[出典22]
と、辛辣なひとことを言われてしまったという。[出典22]
▼浅田舞、真央に「ありがとう」と涙
こうして姉妹間に亀裂が走ったというが、関係を修復するきっかけとなったのは、生前に母・匡子さんが語った、