2021年1月8日更新
2人の初対決は、2004年に行われたジュニアグランプリファイナルでのこと。
このとき2位のキム・ヨナに圧倒的大差を優勝したのが浅田真央だった。キム・ヨナはのちに自叙伝のなかで浅田真央について、
どうして、よりによってあの子が私と同じ時代に生まれたのだろうと思った[出典3]
と語っており、当時撮影した2ショットを机に飾って闘志を燃やしたという。[出典3]
▼敵対心メラメラ
https://twitter.com/asahicom/status/853827903984947200
シニア時代には立場が逆転。
2006年のグランプリファイナルでキム・ヨナが浅田真央に勝つと、2010年のバンクーバーオリンピックではキム・ヨナが金メダル、浅田真央が銀メダルを獲得した。
2013年の時点で浅田真央はキム・ヨナに4勝11敗と力及ばず、翌2014年のソチオリンピックではキム・ヨナが銀メダル、浅田真央は6位に終わった。[出典29][出典30]
▼熾烈な闘いを経て
2010年バンクーバー五輪での
— サッカー好きのための拾い読み速報 (@soccer_soku) 2014年2月19日
浅田真央の涙の銀メダルから4年…
神様は見ている
彼女が4年間誰よりも努力したことを。
2014年ソチ五輪
彼女が1番高い表彰台に立って笑っていることを願っている。 pic.twitter.com/OscPEGr2Ag
ただ、浅田真央は世界選手権を3度制した記録の持ち主である。[出典29]
トリプルアクセルに挑戦し……
2010年のバンクーバーオリンピックで、浅田真央は最難関であるトリプルアクセルを3回も飛んだにも関わらず、1位のキム・ヨナに20点以上も差をつけられてしまった。
トリプルアクセルは成功すれば大幅な加点が見込める技だが、ミスをすると次のジャンプにまで影響を及ぼしてしまうリスクがある。
これに挑戦し続けた浅田真央に対し、キム・ヨナはすべての要素をノーミスでこなし、出来栄え点を稼ぐ作戦を取っていた。[出典31]
▼明暗が別れた
<世界フィギュア>浅田真央が3度目の女王 自己最高を更新
— さえ ?Ci (@sparkle1200) 2014年3月29日
毎日新聞 3月29日 21時43分配信
フィギュアスケート世界選手権女子フリーで演技する浅田=さいたまスーパーアリーナで2014年3月29日、山本晋撮影\(^o^)/ pic.twitter.com/FHU1f9Yg2g
浅田真央のソチオリンピック(フリー)
記憶に残る涙の演技
2014年2月、ロシアにてソチオリンピックが開催され、浅田真央が出場。ショートプログラムではまさかの16位に終わり、
「自分が弱かった」「今まで何をやってきたんだろう」[出典32]
と失意の底に沈んだが、気持ちを切り替えて挑んだフリースケーティングは、記録と記憶に残る演技となった。[出典32]
▼巻き返しへ
【速報】
— びぃぜっとぉ (@bz30th) 2017年4月10日
浅田真央が現役引退を自身のブログで表明した。浅田真央はジュニア時代から活躍し、フィギュアスケートの顔として第一線で活躍をし続け、2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。2014年ソチオリンピック日本代表(6位)。2008年、2010年、2014年世界選手権優勝 pic.twitter.com/J1esZETkXQ
この日、浅田真央は元コーチのタチアナ・タラソワ氏が振り付けを行った「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」に乗せ、トリプルアクセルをはじめとする6種類の3回転ジャンプを8本飛び、魂のこもった演技で自己ベストを更新。[出典32][出典33]
これにより、浅田真央はショートプログラムと合わせて6位に入賞した。