2022年2月4日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 生瀬勝久(なませかつひさ)は、日本で活動する役者。1960年10月13日生まれの兵庫県西宮市出身。リコモーション所属。
- 同志社大学在学中に、劇団「そとばこまち」に入団。1983年に舞台『猿飛佐助』で初舞台を経験し、役者デビューを果たした。
- 劇団での活動を並行して、コント番組『週間TV広辞苑』(読売テレビ)などの深夜バラエティに出演。関西を中心にテレビやラジオに多く出演し、大学生を中心に人気を博した。
- 役者としての活動に力を入れたあとは、”個性派俳優”としてドラマ『トリック』シリーズ(テレビ朝日)や『ごくせん』シリーズ(日本テレビ)、『あなたの番です』(日本テレビ)など多くのヒット作に出演。また、『カイジ2〜人生奪回ゲーム〜』や『マスカレード・ホテル』など多くの映画作品にも出演している。
- 初めてNHKの作品に出演する前は「槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)」という芸名で活動していたが、この芸名だとドラマに出演できなかったため、本名である現在の名前に変更した。
プロフィール
芸名 / 読み | 生瀬 勝久 / なませ かつひさ |
誕生日 | 10月13日 |
出身地 | 兵庫県 |
身長 / 体重 / 血液型 | 178.0cm / 70.0kg / O型 |
星座 / 干支 | てんびん座 / 子年 |
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▼生瀬勝久(写真右)
生い立ち
生瀬勝久は、1960年10月13日生まれの兵庫県西宮市出身。O型。
現在年齢は63歳。身長178cm。リコモーション所属。[出典1]
母親は小学校教師・市議会議員
生瀬勝久の母親は小学校教師で市議会議員。[出典10]
父親は釣り好き。[出典11]
また、兄弟は兄が1人いる。[出典10]
西宮市出身だが、実家のすぐ隣が西宮市と宝塚市の境界線であったため宝塚市にもなじみ深い。
生瀬勝久の母親は宝塚市市長・中川智子と友人関係にあり、家族で宝塚市にある宝塚ファミリーランドを訪れることも多かったという。[出典11]
高校時代のアルバイトは時給350円
生瀬勝久は宝塚高校出身で、当時は宝塚ファミリーランドでバイトをしていた。
時給350円でビンジュースを販売していたという。
宝塚高校卒業後、同志社大学に入学するまでに1浪しており、その期間はお好み焼き屋でアルバイトしていた。[出典11]
尚、同志社大学では2回の留年も経験している。
また、若い頃に劇団員として活動していた際も、ブレイクするまではアルバイトで生計をたてていた。
劇団でのチケット代は次の作品を公演するためにストックされており、劇団員には一銭も入らなかったという。[出典12]
芸能活動
同志社大学在学中に劇団「そとばこまち」に入団
生瀬勝久は、1980年に同志社大学文学部社会学科に入学。
在学中の1983年に劇団「そとばこまち」に入団し、同年公演の舞台『猿飛佐助』で初舞台を踏んだ。
また、同志社大学卒業後の1988年に同劇団の4代目座長に就任すると、役者だけではなく劇作家・演出家としても活躍。
さらには、劇団の活動と並行して各メディアにも出演し、関西のテレビ・ラジオで数多くのレギュラー番組を抱えていた。
特に1988年放送のコント番組『週間TV広辞苑』(読売テレビ)をはじめとする深夜帯のバラエティ番組は、大学生を中心に人気を博した。[出典1]
▼劇団「そとばこまち」
“個性派俳優”として多くの話題作に出演
1983年、当時の座長辰巳琢郎の勧めで劇団そとばこまちに入団。初舞台は『猿飛佐助』。1986年、同志社大学文学部社会学科を卒業。1988年、劇団そとばこまち4代目座長に就任。以来、劇作家・演出家としても活躍。2001年、劇団そとばこまち退団。劇団での活動と並行して、読売テレビ『週刊TV広辞苑』を始めとする深夜バラエティ番組に次々に出演し、大学生を中心に人気が爆発。テレビ・ラジオなど多くのレギュラー番組を持ち、関西の若者のオピニオン・リーダー的存在に。その後、役者としての活動の場を広げるため、全国的な舞台へと進出していく。その傍ら、様々なTVドラマや、映画、CMにも出演。主な出演作品は、NHK『大河ドラマ「八重の桜」』『連続テレビ小説「べっぴんさん」』、TBS『下剋上球児』『ごめんね青春!』、テレビ朝日『コタローは1人暮らし』『トリック』『警部補 矢部謙三』、日本テレビ『14才の母』『ごくせん』『学校のカイダン』、邦画『法廷遊戯』『水は海に向かって流れる』など他多数。
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