2022年2月18日更新
どんな人?
- 神田沙也加(かんださやか)は、主に日本で活動する女優、歌手、声優。東京都出身の1986年10月1日生まれ。ローブ所属。
- 俳優の神田正輝、アイドルで歌手の松田聖子の長女として生まれ、自身も「SAYAKA」名義で2001年から日本で芸能活動を開始。
- 2005年には高校卒業を機に芸能活動を約1年半休止。海外で様々な作品を鑑賞したり、アルバイトをして過ごしていた。
- 2014年に公開されたディズニー映画『アナと雪の女王』でアナの日本語吹き替えを担当。劇中歌も担当し、大ヒットと共に神田自身の歌唱力や声、演技力が評価され、注目を浴びる。2019年公開の『アナと雪の女王2』でも引き続きアナを担当した。
- 2017年4月26日、舞台で共演した俳優・村田充と結婚を発表。2019年12月4日、村田と既に離婚していた事を発表。舞台出演中だった2021年12月18日、滞在先の北海道で亡くなった。
▼神田沙也加
生い立ち
神田沙也加は、東京都出身の1986年10月1日生まれ。身長157cm。血液型はA型。現在の年齢は38歳。[出典6]
父と母が凄すぎるけど…
神田沙也加の父は、ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)などに出演していた、俳優の神田正輝。母は、1980年代を代表するアイドルである松田聖子。[出典7][出典8][出典9]
しかし神田正輝と松田聖子は、1997年に離婚。神田自身は両親の離婚を他所にのびのび生活していたそうだが、1998年に母が歯科医と再婚して生活が一変。[出典10][出典11]
神田が中学入学を目前に控えた頃、母が活動拠点を米国へ移す事が決定。神田の継父と共に、渡米するかという話が上がったそう。しかし、継父と一緒に行く事に抵抗を感じた神田は、中学で寮へ入る事にしたという。[出典11]
寮生活で待っていたもの
母と継父とは別の生活を選択した神田沙也加は、中学の寮生活でいじめに合っていたという。[出典11]
下着を盗まれたり、布団を濡らされたりなど、逃げ場のない寮生活でのいじめに耐え兼ね、4回も転校を繰り返したそう。更に、学校を辞めない為に血縁関係のない親戚の家から通学していた時期もあったという。[出典11][出典12]
それでも通学を続けるのは難しく、母である松田聖子と継父の暮らすロサンゼルスの学校へ編入。しかし、英語も分からず、周囲と馴染むこともできなったという。
その内、母が仕事で家を空ける事が多くなり、継父と共に過ごすことも難しくなり、結局日本の中学に再編入。
当時撮られた神田の写真は、どれも表情が引きつっていたという。[出典11]
芸能活動
SAYAKA名義時代
神田沙也加は、2001年から「SAYAKA」名義で日本での芸能活動を開始。CM出演で芸能界デビューを飾った。2002年にはシングルCD『ever since』で歌手デビュー。
2003年には映画『ドラゴンヘッド』や、ドラマ『ヤンキー母校に帰る』(TBS)などに出演し、女優としても活動を開始。[出典7][出典13]
2004年には、宮本亜門演出のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』で舞台デビュー。オーディションを経て赤ずきん役を演じた神田。[出典14]
当時、ミュージカル未経験だった神田を起用した理由として、「絶対に舞台女優になるという気概と、生半可じゃない熱の入れ方。それに声がよかった」と宮本は語っている。
また、神田は当時亜門から、
ちゃんとあなたを見て選んだんだから、あなたはあなたのままで自信を持ってそこに立っていいんだよ.
[出典14]
と言われ、非常に救われたという。[出典14]
▼宮本亜門と
https://twitter.com/disneystudiojp/status/570589114103234561?s=20
活動休止期間
SAYAKAとして芸能活動を行っていた神田沙也加は、2005年5月に活動休止を発表。丁度高校を卒業した後の出来事だった。