どんな人?
- 若田部遥はアイドルグループ・HKT48 チームHに所属するアイドルである。
- 2011年、HKT48の1期生オーディションに合格しデビュー。アイドル活動のほか、父が元プロ野球選手で野球解説者の若田部健一ということもあり、父の所属球団であった福岡ソフトバンクホークスの試合で始球式を行うなど幅広く活躍する。
- 父は上述の通り元プロ野球選手で、野球解説者の若田部健一。母は地元・福岡でローカルタレントとして活動する若田部佳代である。
生い立ち
幼少期は横浜に在住
HKT48のメンバーとして活躍し現在は福岡を地元とする若田部であるが、幼少期は横浜に住んでいた。[出典1]
プロ野球投手である父・若田部健一が横浜ベイスターズに移籍した時は単身赴任ではなく一家で横浜へ引っ越し、現役引退を機に福岡に戻ったという。
家族
父親は元プロ野球選手の若田部健一
若田部の父親は元プロ野球選手の若田部健一。[出典2]
若田部健一は1969年8月5日生まれ、神奈川県鎌倉市出身。鎌倉学園高校から駒澤大学を経て、1991年ドラフト1位で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に投手として入団した。2005年にプロ野球現役を終了し、現在は野球解説者として活躍している。
ニックネームは「若様」であり、現在も多くの野球ファンから愛されている。[出典3]
「ケータイ紛失騒動」から見える父娘のやりとり
娘・若田部遥のgoogle+の投稿でもしばしば父親との交流の様子を垣間見ることが出来る。
2012年11月6日には、遥が「私のぐぐたすケータイが消失しました」と報告すると、発見に至るまでをクイズ形式で綴って読者を楽しませた。[出典2]
結果、携帯電話が見つかったのは「お父さんが寝っころがっていたソファーの上でした」と報告。
多くのファンは若田部遥の父親が元プロ野球投手であったことを知っているため、携帯電話の発見場所があの有名野球選手・若田部健一の背中の下だったことについて
「お父さんの近くに置くと投げられちゃうよ!」
「パパは福岡のカリスマなんだから邪魔者扱いしたらダメ」[出典2]
など、父娘のやりとりを楽しむ沢山のコメントが寄せられた。[出典2]
娘から父へ、父から娘へコメント
あるインタビューで若田部遥は父親についてこうコメントしている。[出典4]
「母のことはお母さんと呼んでいるのに、父のことはパパなんですよね。理由? ないです。やっぱりパパでしょう」[出典4]
また、球場へよく連れて行かれたため父親が野球選手であることは幼心に刻みこまれていたといい、 「小さい頃、プレーを観るより、パパがネットに開いた穴から縫いぐるみを渡してくれたのだけ覚えてます」とコメント。父親が大好きな様子を見せている。
一方で父・若田部健一も、インタビュー当時14歳という若さで芸能活動をする娘にこんなコメントを寄せている。[出典4]
「自分で選んだ道だから、14歳とはいえ、自力で頑張らないとね。親としてはしっかり見守ります。やるからには、上を目指してほしいです」[出典4]
母親は福岡で活躍するローカルタレント・若田部佳代
母親は福岡で活躍するローカルタレントの若田部佳代である。[出典5]
フリーとして、KBC 九州朝日放送などを中心にキャスター、タレントとして活躍しており、現在、TVQ九州放送のテレビ番組『キレカワ女子部』などに出演中。[出典6]
芸能活動
2011年デビュー
2011年7月10日、HKT48の1期生オーディションに合格。同期には兒玉遥や宮脇咲良がいる。
同年10月23日、西武ドームで開催された『「フライングゲット」発売記念全国握手会イベント「AKB48祭り powerd by AKB48 ネ申テレビ」』でお披露目された。[出典7]
このとき若田部は
「私はダンスが大好きなことに自信があります。いつでもどこでも、元気に“全力投球”で、歌って踊るけん! よろしくお願いします!!」
と大声であいさつし、今後の活躍を誓った。[出典7]
2012年チームHに正規メンバー入り
2012年3月4日、HKT48においてチームHが結成され、正規メンバー16名の1人に選ばれた。
地元・福岡で始球式にも参加
2012年6月16日、福岡ヤフードームで行われたソフトバンク対DeNA戦において始球式を行った。父・若田部健一の現役時代と同じ背番号「14」のユニホームで登場し投球したものの、ワンバウンドで大きくそれてしまうと、[出典8]
「変なところに行って悔しい。自己採点は0点。父もこんな場所で投げていたんですね。ちょっと尊敬しました」[出典8]
とコメントを残している。[出典8]