小学生時代から次々と学童(小学生)記録を次々と樹立した萩野公介は、中学でも29回の中学記録を樹立。[出典8][出典9]
そんな萩野公介の中学時代の転機は、右膝半月板損傷だった。
以前のような泳ぎができないようになるかもしれないという心配を抱きつつ、泳げない間に腹筋運動などの陸上トレーニングを行ったところ、復帰後すぐに参加した背泳ぎで中学記録を樹立。
泳ぎの練習ができない状態でも新記録を樹立したことに、萩野公介は「自分には伸びしろ」があると自信を得た。[出典7]
また、瀬戸大也というライバルの出現も大きかった。
中学2年生のとき、ジュニアオリンピックで瀬戸大也と競った際は、“高速水着”を着用した瀬戸大也に対して、萩野公介は短パンで参加。
僕はこんな水着に頼らなくてもまだまだ速くなれるから着ない[出典10]
結果的に萩野公介は敗北したが、悔しさをバネに練習をした結果、中学3年時にはリベンジを果たした。[出典10]
▼自分の可能性を信じMAX
https://twitter.com/h_723/status/735291380344360961
萩野公介の高校時代
県内トップクラスの進学校に合格するだけの学力を持っていた萩野公介は、母親からも進学校へ進むことを希望されていた。
しかし、練習時間が確保できる作新学院高への進学を決意。水泳の世界で1位になる決意を両親に伝えた。[出典2]
勉強では1学年の300分の1にしかなれないけど、水泳なら頑張れば1番になれるかもしれない。ぼくは1番になりたい[出典2]
高校時代も記録を打ち出した萩野公介だが、高校2年時、世界選手権代表をかけたレースの前日に突然の体調不良で救急車に搬送されてしまう。
それ以来、深刻なスランプに突入し、新記録はおろか、ライバルに勝てない日々が続いた。[出典2]
転機が訪れたのは、2011年11月にシンガポールで開催された大会でのことだった。
負けないように泳ぐという、“レース本来の楽しさ”に立ち返った萩野公介は、同大会で高校記録を連発した。[出典10][出典11]
シンガポール大会で復調した萩野公介は、2012年のロンドン五輪代表選考会に出場。
選考会の400メートル個人メドレー決勝では、日本新記録を樹立し、オリンピックへの出場権を獲得した。[出典11][出典12]
萩野公介の活躍
萩野公介のロンドンオリンピック
2012年、高校3年の時にロンドンオリンピックに出場した萩野公介は、400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得。
日本の競泳選手としては、56年ぶりの高校生メダリストとなった。[出典2][出典10]
2013年世界選手権
2013年、東洋大学に進学した萩野公介は、2013年4月の日本選手権で前人未到の5冠を達成。[出典13]
同年、バルセロナで開催された2013年の世界選手権で計7種目で出場し、男子400メートル自由形、男子200メートル個人メドレーで銀メダルを獲得した。[出典14][出典15]
特に、男子400メートル自由形では日本新記録を樹立し、1960年以来となる同種目での世界大会でのメダル獲得を果たした。[出典13]
一方で、得意としていた400メートル個人メドレーでは、後半失速し期待に反して金メダルを逃し5位という結果に終わり、金メダルは瀬戸大也が獲得。
試合後のインタビューで萩野公介は「これが今の実力」と結果を認め、優勝の瀬戸大也を祝福した。[出典2]