2020年3月17日更新
どんな人?
遠藤憲一の生い立ち
遠藤憲一は1961年6月28日生まれ、東京都品川区出身。
少年時代
強面の顔と渋い低音ボイスがトレードマークの遠藤憲一。[出典2]
しかし少年時代は今とは違ってジャニーズ系の可愛らしい風貌だったそうで、当時は女性から人気があったという。[出典3]
高校をグレて中退
中学生の頃まではいたって普通の学生だったという遠藤憲一。
ところが、不良ひしめく高校に進学したのを機に一変する。[出典4]
勉強が好きではなかった遠藤は、不良とつるんで遊ぶようになってからますます勉強をしなくなったという。
そして高校1年生の夏休みのエピソードとして、
教科書をロッカーに入れっぱなしのまま夏休みを迎えたら、先生に全部燃やされてしまって。2学期から教科書を買わずにいたから、授業も面白くなくなって退学しました[出典4]
と語っている。[出典4]
転じてアルバイト生活に
高校を中退すると、 1年ぐらいバイトを転々としていたという遠藤憲一。
デパートの社員食堂にピザ屋、喫茶店など、体力勝負の仕事ばかりを選んでいたが、辞め癖がついただけで何も身に付かなかったと振り返っている。[出典4]
しかし無職だった当時、電車の中吊り広告にタレント募集の文字を見つけ、試しに応募してみることに。[出典4]
役者を目指して
とくに大きな目標もなくタレント養成所へ入った遠藤憲一は、そこで役者という職業に目覚める機会を得る。
軽い気持ちで入ったら、その養成所に劇団もあったんです。[出典4]
舞台に出るうちに、芝居にのめり込むようになったという遠藤憲一は、
その後、役所広司や仲代達矢が主宰する劇団「無名塾」に合格。[出典3]
応募倍率200倍の難関を突破しながらも、厳しい稽古についていけず10日で退団してしまった。[出典4]
しかし、遠藤憲一は役者の夢を諦めきれず、自主公演を開催したところを芸能関係者からスカウトされた。[出典3]
1983年に役者デビュー
遠藤憲一が役者デビューしたのは1983年。[出典4]
時代劇『壬生の恋歌』(NHK)で、本格的なテレビドラマ初出演を飾った。[出典1][出典4]
その後は1983年『青が散る』(TBS系)、1988年『華の嵐』(フジテレビ系)などに出演する傍ら、脚本も執筆している。[出典1]
1988年の映画『メロドラマ』では、主人公の部下・野々宮龍役で映画に初出演した。[出典1]
29歳までは役者で食えず
遠藤憲一は29歳まで四畳半風呂なし、共同便所のアパートに住んでいたという。[出典4]
それまでは、役者の仕事だけではとても食べていけない経済状況だった。
しかし、「この道から逃げない」を座右の銘とする遠藤憲一は、苦労から逃げることなく役者を続けた。[出典4]
遠藤憲一は「ミスター・Vシネ悪役」
下積み時代からVシネマに出演してきた遠藤憲一。
その鋭い眼力や強面の風貌から悪役が多く、「ミスター・Vシネ悪役」とも呼ばれた。遠藤憲一はブレイク後も、
演技の基礎体力を鍛えてくれる場所。出演するたびに何かが磨かれる[出典5]
とVシネをこよなく愛し、作品に出演し続けている。[出典5]