2022年1月17日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 間宮祥太朗(まみやしょうたろう)は、日本で活動する役者。横浜市出身の1993年6月11日生まれ。トライストーン・エンタテイメント所属。
- モデル活動を経て、2008年放送のドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』(日本テレビ)で役者デビューを果たした。
- 以降舞台や映画、ドラマ『山田くんと7人の魔女』(フジテレビ)や『弱くても勝てます ~青志先生とへっぽこ高校球児の野望~』(日本テレビ)、『水球ヤンキース』(フジテレビ)などの話題作に出演している。
- 2018年放送の連続テレビ小説『半分、青い。』(NHK)で朝ドラ初出演を果たし、2020年放送のドラマ『麒麟がくる』(NHK)では大河初出演も果たした。
- 特撮ドラマ「仮面ライダー」シリーズ(テレビ朝日)に出演する”ライダー俳優”と間違われることがあるが、出演していない。
▼間宮祥太朗
生い立ち
間宮祥太朗は、横浜市出身の1993年6月11日生まれ。
現在年齢は、31歳。トライストーン・エンタテイメント所属。[出典1]
幼い頃は、祖父と世界各地を旅行
間宮祥太朗は幼い頃、祖父と世界各地を旅行していた。
祖父との旅行はアフリカが最後の地となる予定だったが、祖父が高齢となり、体力面の心配から断念。
2019年に出演したドキュメンタリー番組『アナザースカイII』(日本テレビ)では、祖父と訪れるはずだった南アフリカでロケを行った。[出典2]
同番組内で間宮祥太朗の祖父は、間宮祥太朗を世界へ連れ出した理由について、「いかなる環境下でも成長し、チャレンジする人間になってほしかった」と語っている。
間宮祥太朗はそんな祖父に対し、「祖父に育ててもらったからこそ、いまここに自身がいる」と感謝を述べた。[出典3]
小学生の頃から自然と映画好きに
間宮祥太朗の実家では、父親が休みである日曜日の夕食後に、家族で映画を観るのが習慣となっていた。
最初は両親の好みの作品を鑑賞していたが、間宮祥太朗自身も徐々に映画に興味を持つように。[出典4]
間宮祥太朗はそのきっかけについて、
通っていた塾が2階で、その1階がTSUTAYAだったんです。塾が終わると、家に帰る前にTSUTAYAに入り浸るようになって、それで初めて自分の興味の沸くものを手に取り始めて。そこからどっぷりですね。[出典4]
と語っている。[出典4]
芸能活動
2008年放送のドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』で役者デビュー
間宮祥太朗は中学時代、中学生向けファッション誌『Hana*chu→』の読者モデルとして活躍。[出典5]
間宮祥太朗は当時を振り返り、
読者モデルは、図書カードがもらえるから出てただけで(笑い)。子どものときから、とにかく映画が好きで、映画に携わる仕事をしたいと、漠然と、でも強く思ってました。配給でもライターでも何でもいい、みたいな。[出典5]
と語っている。[出典5]
その後、現在の事務所から声を掛けられたことで、役者の道へ。[出典5]
2008年放送のドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』(日本テレビ)で役者デビューを果たした。[出典6]
以降、数多くの映画や舞台に出演。[出典1]
ドラマでは、2013年放送の『山田くんと7人の魔女』(フジテレビ)や、2014年放送の『弱くても勝てます ~青志先生とへっぽこ高校球児の野望~』(日本テレビ)、『水球ヤンキース』(フジテレビ)などの話題作に出演している。[出典6]
朝ドラや大河でも活躍
間宮祥太朗は、2016年放送のドラマ『ニーチェ先生』(Hulu・日本テレビ)でドラマ初主演。2017年公開の映画『劇場版 お前はまだグンマを知らない』で映画初主演を務めた。[出典1]
1993年6月11日生まれ、神奈川県横浜市出身の俳優。主な出演作はNHK『半分、青い。』、日本テレビ『バンクオーバー!〜史上最弱の強盗〜』、テレビ朝日『べしゃり暮らし』『コタローは1人暮らし』、TBS『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』、映画『殺さない彼と死なない彼女』『東京リベンジャーズ』など他多数。
出典:タレントデータバンク