2019年5月29日更新
どんな人?
- 香川京子は1931年12月5日、茨城県の行方市に生まれる。本名は牧野香子。出身校は都立第十高等女学校。
- 東京新聞開催の「ニューフェイス・ノミネーション」に応募し、約6000名の中から合格した。代表作は山本薩夫監督『華麗なる一族』や山田洋次監督『男はつらいよ・寅次郎春の夢』など。
- 1963年、読売新聞の連載記事の写真モデルになった縁で記者・牧野拓司と結婚した。
生い立ち
香川京子は1931年12月5日、茨城県の行方市に生まれる。
本名は牧野香子。旧姓は池辺香子である。
ピアノを習い、バレリーナに憧れる少女時代を過ごした。
1949年、都立第十高等女学校(現・豊島高校)を卒業。[出典1]
芸能活動
“自分の仕事”と言えるものに憧れ 女優の道へ
1949年、香川京子は東京新聞が各映画会社と協賛して開催したイベント「ニューフェイス・ノミネーション」の存在を知り、女優業の大変さを知る新東宝の宣伝課長・永島一朗の反対を押し切って応募し、約6000名の中から合格した。
のちに永島の斡旋で新東宝に入社することとなった。[出典1]
島耕作の『窓から飛び出せ』で主演に抜擢
1950年、島耕二監督の映画『窓から飛び出せ』の主演に抜擢される。
この映画での自然体の演技が好評で、同年、阿部豊監督『細雪』など7作品に次々と出演した。都会的な現代劇が主だったが、中川信夫監督『若様侍捕物帳・謎の能面屋敷』で初となる時代劇にも挑戦。翌年1951年にも成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』など7作品に出演した。[出典1]
新東宝を離れ フリーに
1952年、成瀬巳喜男監督に再び起用され『おかあさん』に出演。
香川京子の代表作となる。成瀬巳喜男は読売新聞のコラムにて香川京子を
香川君の良さは、素直な素朴な演技と、何か清潔なものを感じさせるというようなところ。そうしたものが初めの頃からずっと失われずにいる。町のそこここでみかける娘さんという感じ。[出典1]
と評価している。
しかしこの映画の撮影後、「自分のことは自分で決めたい」と、新東宝を離れフリーとなった。
これは当時としては珍しい選択であったが、前年に新東宝のプロデューサーに転じていた叔父・永島の理解とバックアップにより、順調に出演依頼が舞い込んだ。[出典1]
以降も、
『ママ日曜でありがとう』(TBS系)[出典2]
『肝っ玉かあさん』(TBS系)
黒澤明監督『赤ひげ』[出典3]、『まあだだよ』[出典4]
山本薩夫監督『華麗なる一族』[出典5]
山田洋次監督『男はつらいよ・寅次郎春の夢』
熊井啓監督『式部物語』※キネマ旬報賞助演女優賞受賞
などのテレビドラマや映画に出演した。
1998年に紫綬褒章、2004年には旭日小綬章を受章した。[出典1]
私生活
記者・牧野拓司との結婚。
香川京子は1963年、読売新聞の連載記事の写真モデルになった縁で記者・牧野拓司と結婚した。1965年に長女を出産。
この後、女優とは違う人生を経験したいという思いから、夫とともに渡米し、映画界を離れてニューヨークで約3年暮らす。その間に長男を出産した。
帰国後は再びテレビドラマを中心に女優として活躍している。[出典1]
出演
映画
- BALLAD~名もなき恋のうた~
- 天使のいる図書館
- インターミッション (オブスキュラ)
- 峠 最後のサムライ