2022年2月28日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- マキタスポーツ(まきたすぽーつ)は、日本で活動するお笑い芸人・役者・ミュージシャン。山梨県出身の1970年1月25日生まれ。ワタナベエンターテインメント所属。
- 28歳の時に芸人となり、漫才コンビ「浅草キッド」が主催していた「浅草お兄さん会」でデビューした。
- 役者としては、2012年公開の映画『苦役列車』で「第55回ブルーリボン賞」新人賞を受賞し、脚光を浴びた。
- 文筆業やミュージシャンとしても活動しており、ロックバンド「マキタ学級」を結成している。
▼マキタスポーツ
生い立ち
マキタスポーツは、山梨県出身の1970年1月25日生まれ。現在年齢は、54歳。ワタナベエンターテインメント所属。[出典1]
本名は槙田雄司で、国士舘大学を卒業している。[出典4]
芸名の由来は、実家が経営していた店の名前
マキタスポーツの実家はスポーツ用品店「マキタスポーツ」を経営していたが、2014年に取り壊されている。[出典7]
マキタスポーツは2015年、自身のブログに同店が解体されている写真を掲載し、
あまり悲しんでいても仕方ないし、時代といえば時代だし、僕も東京で独立して家族も持ったし…けど、やっぱり、クルね…ありがとう実家。ありがとう、父ちゃん、母ちゃん!だわ。[出典7]
と綴った。[出典7]
芸能活動
マキタスポーツは1998年にピン芸人としてデビュー。お笑いコンビ「浅草キッド」が主催したライブ「浅草お兄さん会」で初舞台を踏んだ。
また、2008年にはピン芸人のプチ鹿島・お笑いコンビ「米粒写経」のサンキュータツオと、自主制作ポッドキャスト番組『東京ポッド許可局』の配信を開始。
同番組は2013年よりTBSラジオのレギュラー番組となった。[出典2]
ネタにおいては、”作詞作曲のモノマネ”や”過去のヒットソング分析”など音楽関連のものを得意としており、2010年4月にCD『オトネタ』をリリースしている。[出典2][出典4]
お笑い番組『ゴッドタン』(テレビ東京)の企画では、ヴィジュアル系パロディバンド「Fly or Die」を結成。[出典3][出典5]
同バンドで2015年に開催された野外音楽フェスティバル「ROCK IN JAPAN」に出演したほか、2016年にはアルバム『矛と盾』でデビューも果たしている。[出典3]
役者としても活動しており、2012年公開の映画『苦役列車』では、「第55回ブルーリボン賞」などで新人賞を受賞。[出典1]
2015年放送のドラマ『PANIC IN』(BSスカパー!)では連ドラ初主演も務めている。[出典2]
以降も、2020年放送の朝の連続テレビ小説『エール』(NHK)や2021年公開の映画『劇場版 きのう何食べた?』などの作品に出演。
2022年は、ドラマ『婚活探偵』(BSテレ東)や映画『前科者』に出演している。[出典1]
人物
- お笑いタレントのビートたけしやモノマネタレントのコロッケのファン。[出典8]
- グルメではないが、食べることは好き。
- アドリブが得意。
- 役者・小泉今日子のファン。
- 方言のセリフが得意で、全国の方言を制覇したいと考えている。[出典10]
- ネタは、”内から沸きあがるもの”よりも”外部からの刺激”によって作りあげることが多い。[出典11]
- 時間があると本屋を巡る。また、面白い本に出会うと立ち読みで1冊読み終えてしまうこともある。[出典12]
- 楽器屋は好きだが、楽器屋にいる人は苦手。[出典13]
- 赤飯が苦手。[出典14]
- コーヒーが苦手だったが、45歳を過ぎてから好きになった。[出典15]
結婚
子どもたちがライブに来たこともある
マキタスポーツは結婚しており、4人の子供がいる。[出典9]
また、2016年に受けたインタビューでは、マキタスポーツが所属するヴィジュアル系パロディバンド「Fly or Die」の活動に対する子供たちの反応について、
上のお姉ちゃん(中学2年生)はよくライブに来てくれます。ということは嫌じゃないんだろうし、楽しんでくれていると思いますよ。下の子(小学3年生)は、最前列でヘドバン(ヘッドバンギング)してました。[出典9]
と語っている。[出典9]
1970年1月25日生まれ、山梨県出身。主な出演作はTBSラジオ『東京ポッド許可局』、山梨放送『マキタ係長』、BSジャパン『この世で俺/僕だけ』、NHK Eテレ『ビットワールド』、映画『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』『前科者』、著書『アナーキー・イン・ザ・子供かわいい”父親に成る”ということ』『一億総ツッコミ時代』『越境芸人』など他多数。
出典:タレントデータバンク