2024年2月5日更新
内田篤人のプロフィール
内田篤人(うちだあつと)
経歴:清水東高校→鹿島アントラーズ→シャルケ→ウニオン・ベルリン
ポジション:DF(ディフェンダー)
利き足:右
[出典1]
内田篤人の生い立ち
小学生の頃は平凡な選手
内田篤人は静岡県東部に位置する、函南(かんなみ)町で生まれた。
小学1年生の頃に地元のサッカーチームに入団。足の速さはチーム内でもトップクラスであった。
しかし、県の選抜になれるほどの実力はなく、当時の監督は以下のように語っている。
本人もプロ選手になりたいとは言っていなかったし、まさかプロになるとは思ってもみなかった[出典2]
少年時代の遊びはトレーニング
内田篤人は小学生の頃、サッカーだけではなくソフトボールもやっていたと明かしている。
月・水・金はソフトボール、日・火・木・土はサッカーと並行して行っていたそうだ。また当時は、ゲームはやらず夕飯の時間になるまで外で遊ぶ活発な少年であったという。
少年時代を振り返った内田篤人は、
身体を動かすのは子どもの時は大事だから。毎日がトレーニングみたいなものだったと思う[出典3]
と遊びを通じて体力作りをする大切さを語った。[出典3]
▼お茶目で活発な少年だった?
ベッカムヘアを真似てた中学時代
地元の函南中学校に進学した内田篤人。日韓Wカップでのベッカムを意識したのか、ワックスをつけれない校内の中で「水でベッカムヘアを再現していた」と同級生が明かしている。
またクラス内では「影で動く存在」であったそうで、「〇〇しといたから」という会話などをしていたことを、当時の担任は覚えているという。
▼ベッカム(右)
高校時代で頭角を現す
中学時代までは特にサッカーで目立つ選手でなかった内田篤人であったが、将来を見据えた末に県内屈指のサッカー強豪校・県立清水東高校に進学した
しかし、当時の監督は、
人の中に入れば内田君はどこにいるのかなという感じだった[出典2]
と内田の印象を明かしている。