2021年6月21日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 大谷亮平(おおたにりょうへい)は、日本で活動する役者。大阪府出身の1980年10月1日生まれ。アミューズ所属。
- 大学卒業後の2003年に受けたオーディションで、韓国で放送される「ダンキンドーナツ」のCM出演が決定。韓国で芸能界デビューを果たした。
- 2006年放送のドラマ『ソウルメイト』で役者デビューを果たし、以降韓国の映画やドラマに多数出演している。
- 日本では、2016年放送のドラマ『ラヴソング』(フジテレビ)に出演し「逆輸入俳優」として注目を集めた。
- 同年放送のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS)でレギュラー出演し、ドラマのヒットと共にブレイクを果たした。
▼大谷亮平
生い立ち
大谷亮平は、大阪府出身の1980年10月1日生まれ。現在年齢は44歳。身長180cm。アミューズ所属。[出典1]
父はサラリーマン、母は小学校の教員。2歳年上の姉と、6歳年下の妹がいる。[出典2]
バリバリの体育会系だった!
大谷亮平は活発な少年で、小学校の頃は外でドッジボールや野球をして遊ぶことが多かった。
そんな姿を見た近所の人が、「うちの娘の参加しているから」とバレーチームに誘ってくれたという。
しかし、入ってみるとスパルタ練習や体罰が当たり前な、辞められないチームだった。大谷はそんな練習を耐え抜き、全国大会にも出場している。
その後中学でもバレーを続け、大阪のスター選手としてもてはやされていたという。[出典2]
高校へは、バレーの強豪校である清風高校へスポーツ推薦で入学。
3年生の時にはチームのキャプテンを務め、さらに国体大阪選抜の主将も務めている。
しかし、全国レベルで活躍している選手とのレベルの違いを痛感。さらに、厳しく辛い練習や体罰、キャプテンという重圧に耐えきれずにいたそう。
そのため、一度は本気で目指したプロを諦め、高校卒業と共に本格的なバレー生活に幕を閉じている。[出典2][出典3][出典4]
バレーを辞め芸能の道へ
大谷亮平は高校卒業と同時に、プロのバレーボール選手になることを諦めた。
しかし、それまでバレー一筋で生活していたため勉強ができなかったという。そのため、バレーのスポーツ推薦で東京の大学へ入学している。
大学でもバレー部に所属し、バレーを続けることとなったが、レギュラーになれず惰性で続けていたという。
そんな中、大学卒業間近にモデル活動を開始。両親からは体育教師になることを望まれていたそうだが、大学卒業後もモデル活動を継続することを決めている。
なお、大学卒業後モデル事務所に所属した際、姉が自分のことのように喜んでくれたそう。[出典2]
芸能活動
韓国でブレイク!その後日本へ
大谷亮平は大学卒業後、モデル活動を開始。
間もない2003年の時、韓国で放送された「ダンキンドーナツ」のCMに出演が決まり、注目を集めた。
これをきっかけに韓国で仕事のオファーを受けるようになり、日本と韓国を行き来する生活が続いていた。
その後、「韓国語を覚えて韓国で芸能活動をしないか」と声をかけられ、韓国を中心に芸能活動を開始。
2006年放送の韓国ドラマ『ソウルメイト』(MBS)で役者デビューを果たし、以降『朝鮮ガンマン』(KBS)、『追跡者』(SBS)などのヒットドラマに出演。
『神弓』『バトルオーシャン』などの韓国映画にも出演し、2014年の「韓国ドラマアワード2014」ではグローバル俳優賞を受賞している。
日本では、2016年放送のドラマ『ラブソング』(フジテレビ)で役者デビュー。「逆輸入俳優」として注目を集めた。[出典5][出典6]
日本でモデル活動を始めたが、2003年、韓国のCM「ダンキンドーナツ」の出演をきっかけに韓国でモデル・俳優として活動することになる。俳優としてのデビューは、シチュエーション・コメディ番組「ソウルメイト~恋人たちのダイアリー~」。その後、数々の映画やドラマに出演。大ヒットとなった代表作は、映画「神弓-KAMIYUMI-」、映画「バトル・オーシャン 海上決戦」である。ドラマ「朝鮮ガンマン」では、「ソウルドラマアワード2014」グローバル俳優賞を受賞する。2016年4月より、日本でも活動を開始する。
出典:タレントデータバンク