2022年1月17日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
▼天海祐希
生い立ち
天海祐希は、東京都台東区出身の1967年8月8日生まれ。現在の年齢は57歳。身長171cm。本名は中野祐里(なかのゆり)。[出典6][出典7]
実家は東京・上野であり、小さな会社を経営する設計士の父と母、兄と弟が居る。[出典8]
父は尺八をやっており、天海と兄は幼い頃舞台で民謡を歌わされていたそう。また、父は話し上手であり、家には友人が良く集まっていたという。[出典9]
芝居をしようと思ったきっかけは?
天海祐希が芝居をしようと思ったのは幼稚園の頃。
幼稚園でのお遊戯会で、先生から「声が大きくて芝居が上手」と褒められ、
ゆりちゃんは、お芝居する人になる。[出典9]
と決心したそう。以降、芝居をする人になるという決意が変わる事はなかったという。[出典9]
身長は昔から大きかった
天海祐希は子どもの頃から身長が大きかったそうで、整列ではいつも1番後ろであり、男子よりも大きかった為「デカ女」と言われていたそう。
当時は身長の高い女子は珍しく、生きにくい思いをしたそうだが、宝塚に入って一変。「高身長が武器になることもあるのか」と驚いたと同時に、初めて感謝したという。[出典9]
芸能活動
宝塚時代
天海祐希は、杉並学院高校の2年生終了時に宝塚音楽学校へ進学。1987年に卒業し、そのまま宝塚歌劇団へ入団。華やかなルックスに長身だった為、トップスターになるのではと注目を浴びていた。[出典6]
初舞台は雪組公演の『宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら』。公演後、月組に配属となった。
新人公演である『ミー&マイガール』では主役に抜擢され、1989年のニューヨーク公演ではメンバーに選ばれている。
1993年には、研究科7年でありながら、最年少である25歳で先輩たちを追い抜きトップスターとなった。研究科7年で男役のトップスターになったのは、大地真央などが居る。
その後、1995年公演の『ミー&マイガール』を最後に、28歳で宝塚歌劇団を退団。
また、芸名は当初母が好きだった石原裕次郎から取った“石原裕”を希望していたそうだが、本名から1文字取った現在の芸名になったという。[出典6]
女優時代
宝塚歌劇団を退団した天海祐希は、1996年から女優として活動を開始。[出典10]
同年公開の映画『クリスマスの黙示録』では、日本アカデミー賞新人賞を受賞している。その後、ドラマ『離婚弁護士』(フジテレビ)や『女王の教室』(日本テレビ)など、様々な話題作に出演。老若男女からの注目を集めた。
1967年8月8日生まれ、東京都出身の女優。元宝塚歌劇団 月組トップスター。主な出演作は、テレビ朝日『緊急取調室』、フジテレビ『合理的にあり得ない~探偵・上水流涼子の解明~』、日本テレビ『トップナイフ-天才脳外科医の条件-』、映画『仕掛人・藤枝梅安』『老後の資金がありません!』『最高の人生の見つけ方』、舞台『レイディマクベス』『広島ジャンゴ2022』など他多数。
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