2018年4月25日更新
どんな人?
- 安室奈美恵は、2018年9月16日をもって引退することを発表した沖縄県出身の歌手。
- 2017年に放送された『第68回 NHK紅白歌合戦』(NHK)に、特別出演歌手として出場。リオデジャネイロ五輪テーマソングとなった『Hero』を歌唱した。
- 1992年に「SUPER MONKEY’S」のメンバーとしてデビュー。1995年からはソロ活動をスタートさせ、ミリオンヒット曲を多数世に送り出した。
- 芸能界内外にファンが多く、香里奈や吉田羊らは元アムラー。イモトアヤコも熱狂的な安室ファンとして知られる。
- 1997年にSAMと結婚。同時に妊娠も発表し、翌1998年には長男が誕生した。なお、SAMとはのちに離婚している。
安室奈美恵の生い立ち
安室奈美恵は、沖縄県出身の歌手である。
1977年9月20日生まれなので、現在の年齢は47歳。[出典1]
幼少期の安室奈美恵
安室奈美恵の両親は、安室が幼少期の頃に離婚。その後、兄姉2人と安室の3人を、母親が朝晩働いて育てたという。
小学校の高学年になった安室奈美恵は、芸能養成スクールである「沖縄アクターズスクール」からのスカウトを受けて入校した。[出典2]
ちなみに、「沖縄アクターズスクール」の出身にはSPEEDやMAX、三浦大知らがいる。[出典3]
▼三浦大知
特待生になるも、交通費が出せず…
安室奈美恵は「沖縄アクターズスクール」の特待生として、レッスン料が無料という異例の待遇で迎え入れられた。
しかしスクールまでのバス代が工面できず、当時は往復3時間の道のりを週3日、歩いて通っていたそうだ。[出典2]
安室奈美恵をスカウトした「沖縄アクターズスクール」のマキノ正幸社長は、
「一歩引いても人を引き付ける力がある。日本で数少ない人だ」[出典4]
「自然と彼女の周りには人が集まり、(彼女は)希望をかなえてきた」[出典4]
と、当時の安室について語っている。[出典4]
安室奈美恵のデビュー
1992年9月16日、安室奈美恵はSUPER MONKEY’Sの一員として、シングル『恋のキュート・ビート / ミスターU.S.A.』でデビューを飾った。
その後、SUPER MONKEY’S 4、安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sなどの形態を経て、1995年にはソロ活動を本格的にスタート。[出典5]
同年、ソロでのシングル『TRY ME』、そして小室哲哉(TK)プロデュースによる『Body Feels EXIT』『Chase The Chance』が大ヒットを記録した。[出典5][出典6][出典7]
▼「Body Feels EXIT」はTKプロデュース!
1996年には、アルバム『SWEET 19 BLUES』の初回出荷枚数が当時の最高記録である305万枚をマーク。
レコード大賞を史上最年少で受賞したのもこの頃である。[出典5]
▼タイトルトラック「SWEET 19 BLUES」
『CAN YOU CELEBRATE?』が大ヒット
1997年、安室奈美恵はシングル『CAN YOU CELEBRATE?』をリリース。
本作はダブルミリオン(200万枚)のセールスを記録し、この年もっとも売れたシングルに認定されたほか、のちに結婚式の定番ソングとして愛されることとなった。[出典1]