2017年4月19日更新
どんな人?
- 愛川欽也は「キンキン」の愛称で親しまれ、俳優・声優や司会者などとして活躍していた。
- 20年間『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)の司会を務めていた愛川欽也。「世界最高齢の情報番組司会者」として、ギネスに認定された。
- 2015年4月15日、肺がんのため死去。大江麻理子、楠田枝里子らから追悼コメントが寄せられた。
プロフィール
本名 | 井川敏明 |
生年月日 | 1934年6月25日 |
没年月日 | 2015年4月15日(満80歳没) |
身長 / 血液型 | 168cm / A型 |
出身地 | 東京府東京市豊島区巣鴨 |
最終学歴 | 埼玉県立浦和高等学校中退 |
デビュー年 | 1954年 |
配偶者 | うつみ宮土理 |
愛川欽也の生い立ち
愛川欽也は東京・巣鴨に生まれたが、戦争中は疎開のために茨城県、福島県、埼玉県で過ごした。[出典1]
弁護士を目指していたことも
東京大学法学部を出て弁護士になろうと考えた愛川は、埼玉県立浦和高校に進学(後に中退)。しかし、通学途中の道にあった「北浦和映画劇場」でフランス映画に出会い、ハマったという。そして
よし、俺も芝居をやろう[出典2]
と考え、「俳優座養成所」に研究生として入所したそうだ。[出典1][出典2]
声優として活躍
愛川欽也は俳優座を退団後、アメリカのテレビドラマ『ルート66』の日本語吹き替えを担当したほか、アニメ『いなかっぺ大将』(フジテレビ系)にニャンコ先生役で出演するなど、声優としても活躍していた。菅原文太の代表作品である『トラック野郎』シリーズ。愛川欽也は同シリーズで、菅原文太の相棒・松下金造(通称・やもめのジョナサン)を演じていた。[出典1][出典3][出典4]
「名司会者」との声も
愛川欽也は「名司会者」であるとする声もある。『それ行け!歌謡曲』(TBSラジオ)や『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)が特に人気な番組となり、愛川は若者から「キンキン」というニックネームで呼ばれるようになった。[出典5][出典6]
また、『11PM』(日本テレビ系)には11年間出演していたほか、『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)は楠田枝里子と共に15年もの間出演していた。[出典5]
ギネスに認定
20年もの間『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)の司会を務めていた愛川欽也。彼は「世界最高齢の情報番組司会者」として、ギネスに認定されている。[出典5]
うつみ宮土理と結婚
1978年、愛川欽也はうつみ宮土理と結婚。以来、おしどり夫婦として知られていた。ちなみに愛川には前妻がいるが、彼女と離婚してすぐにうつみ宮土理と結婚している。[出典6]
前妻との間に子供が2人
愛川欽也と前妻との間には、2人の子供がいる。息子は1958年に生まれ、井川晃一名義で俳優として活動しており、1960年に生まれた娘は佳村萌名義で女優として活動している。[出典5]
2015年に死去
愛川欽也は2015年4月15日、肺がんのため死去した。愛川は同年3月末までは普段通りに生活できていたというが、4月6日に自身が運営するネットテレビ局「kinkin.tv」を閉鎖し、翌7日には愛川の「重病説」が流れた。重病説が流れると、妻・うつみ宮土理は
風邪をひいて自宅で休んでいます。『早く、ロケに行こう』とそればかり言っています[出典5]
とコメントしていた。[出典5]
在宅医療を受けていた
寂しがり屋だという愛川欽也。入院を嫌がったそうで、自宅に介護用ベッドや点滴器具を運び込み、在宅医療を受けていたそうだ。また、妻・うつみ宮土理による看護を受けながら、病床で自身がメガホンをとる新作映画について考えていたという。2015年4月18日からは自身が経営する「キンケロ・シアター」で自身8作目の作品を上映し、初日舞台挨拶に登壇したがっていたそうだが、希望は叶わなかった。[出典5]
葬儀に息子・娘も参列
2015年4月17日には、愛川欽也の葬儀が執り行われた。葬儀に前妻は参列しなかったが、息子・娘は参列したようである。[出典7]
共演したタレントらの追悼コメント
大江麻理子による追悼コメント
愛川欽也が司会を務めていた『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)で、10年間アシスタントとして共演していた大江麻理子。彼女は愛川が旅立つと、彼を偲ぶツイートをしていた。[出典8]
▼大江麻理子による追悼ツイート
https://twitter.com/oe_mariko/status/588977372281458688