どんな人?
- 田中将大はニューヨーク・ヤンキースの投手。楽天時代に23勝無敗の成績を残している。
- 推定年俸は2200万ドル(日本円で約26億円)。
- 野球ゲーム「パワプロ」のアプリ版で、サクセスのシナリオを監修している。
- 田中将大に対する海外の反応は批判もあるが、「過小評価をしすぎだ」と問題になったこともある。
- 妻はタレントの里田まい。2016年2月、第一子となる男の子が誕生した。
田中将大のプロフィール
田中将大(たなかまさひろ)
生年月日:1988年(昭63年)11月1日
年齢:36歳
出身地:兵庫県
身長・体重:188cm、93kg
経歴:駒大苫小牧高→楽天イーグルス→ニューヨーク・ヤンキース(現)
ポジション:投手
背番号:19
[出典1]
田中将大の生い立ち
坂本勇人とはチームメイトでライバルだった
田中将大と読売ジャイアンツ・坂本勇人は小学生の頃、少年野球チーム「昆陽里タイガース」に所属していた。
二人を指導した人物によると、当時から田中の能力はA級品であったとのこと。しかし、さらに才能を感じていたのは坂本勇人の方であったという。
ライバル関係でもあった二人は、しばしばホームラン数や遠投の距離で競いあっていたそうだ。[出典2]
▼坂本勇人
日本プロ野球界では敵同士となったが、二人をはじめ、ロサンゼルス・ドジャースに所属する投手・前田健太などと1988年生まれ選手による「88年会」を結成しており、現在でもチームの垣根を超えて親交を深めている。[出典3]
最大の武器・スライダーは中学時代に研究
田中将大は中学生になると、地元にある「宝塚ボーイズ」に入団した。オリックス時代のイチローのバッティングピッチャーを務めていた経験を持つ監督の元、野球に打ち込んだ。[出典4]
▼監督の元で才能を開花
小学校6年間のポジションはキャッチーであった田中だが、この頃から投手に転向。投手としての才能を見せた田中は、中2の頃に「空振りが取れる球が欲しい」と、現在においても最大の武器となっている「スライダー」を磨くことに。[出典4]
並々ならぬ向上心の秘密
「宝塚ボーイズ」の中心メンバーであった田中だが、全国大会の夢は叶わなかった。そして当時、関西地方のボーイズリーグを賑わしていた前田健太は全国大会へと進出。
田中はそんな前田健太が出場する全国大会でボールボーイを担当していたが、「自分も出来たはずだ!」と目の前で戦う選手たちと比較し、日々練習に励んだという。[出典4]
▼前田健太
高校時代の激闘「vs斎藤佑樹」
田中将大は駒大苫小牧へと進学。1年生の頃からベンチ入りをしており、高校2年次には史上6校目となる甲子園2連覇に投手として貢献した。[出典4]
高校3年次の夏、甲子園の決勝の舞台で、当時「ハンカチ王子」として人気を集めていた早稲田実業(現日ハム)・斎藤佑樹と壮絶な投げ合いを見せ、再試合へと縺れ込ませた。