どんな人?
- 萩野公介は、1994年生まれの競泳選手。栃木県出身。2017年からブリヂストンに所属。
- 幼少期から水泳を始め、小学生の頃から数々の記録を樹立。特に中学では29回もの新記録を打ち立てた。
- 2012年、高校3年時にロンドンオリンピックに出場し、400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。
- 2016年のリオデジャネイロオリンピックでは400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した。
- 2017年は不調に苦しみ、世界選手権では400メートル個人メドレーの入賞を逃してしまったものの、シーズン終了直前の大会では好結果を出した。
▼萩野公介
https://twitter.com/haginokosuke/status/853432833074909184
萩野公介の生い立ち
0歳から水泳を始めた萩野公介
萩野公介は1994年8月15日生まれの競泳選手。栃木県出身。
都心から郊外に越した母親が、「ママ友」を探すためにベビースイミングに入会したことをきっかけに、0歳から水泳を開始。[出典1][出典2]
▼まさに水泳界のサラブレッド
https://twitter.com/tobiuojapan/status/716553182537592833
生後間もなく息継ぎを覚えると、2歳の頃には12.5メートルを犬かきのように泳ぎきるまでに成長し、幼稚園の頃から選手育成コースに入会した。[出典2][出典3]
天才・萩野公介を育てた両親の教育
「様々な資質を身につけさせる」という両親の教育方針のもと、萩野公介は幼少期から水泳のほかにもピアノや英会話、学習塾など様々な習い事に通った。[出典2]
練習で疲れて帰宅した後も、塾や学校の課題に取り組み、ピアノも学校の成績も優秀だった。一方で絵本や図鑑を眺めたり、絵を描くなど腰を据えて行うようなことは苦手だったという。[出典2]
▼素晴らしい両親の教育方針
https://twitter.com/haginokosuke/status/359941882555539456
スクール入会のためにバタフライを猛練習
小学1年生の時、父親の転勤で、それまでいた栃木県から愛知県に移った萩野公介は、地区のスイミングスクールに入会した。
同スイミングスクールでは入会の条件として、「四泳法を泳げること」を掲げていたため、バタフライが泳げなかった当時6歳の萩野公介は猛練習の末これを習得。[出典4]
すでに完成された泳ぎを見せた萩野公介は、入会してまもなく上級生のコースに飛び級。
小学2年生の頃には全国大会に出場する4年生並みのレベルに上達し、全国大会のジュニアオリンピックで優勝するまでに至った。
また、「四泳法を泳ぐ」と言うスクールの方針が、のちに萩野公介が個人メドレーをメイン種目に据える原点となった。[出典2][出典5]
▼幼少期の体験が個人メドレーの原点
https://twitter.com/nezutoshi/status/583500214629040129
コーチを驚愕させた萩野公介の背泳ぎ
小学3年生になる直前、父の転勤で再び栃木に戻ることになった萩野公介は、そこで高校3年までの10年間を通うことになるスイミングスクールに入会。
当時小学3年生だった萩野公介の泳ぎを初めて見たコーチは、高校生のように“肩を水の上に出して”背泳ぎするのを見て驚愕した。[出典6][出典7]
水面の上を肩が越えていると水の抵抗が少なくなるのと同時に、遠くに手を運べて水をしっかりとかける。[出典7]
この泳ぎ方は通常、高校生くらいまで身体が出来上がった選手ができるようになることらしい。[出典7]
▼すでに完成した泳ぎ方!
https://twitter.com/Travis_Mahoney/status/662816348246900736