2018年4月23日更新
▼日本ハムファイターズ公式インスタより
なおダルビッシュ有は日本ハムファイターズ在籍中の2009年、第2回WBCに日本代表として出場。
松坂大輔、岩隈久志らとともに先発し、2試合に登板すると、準決勝、決勝の舞台では未経験にも関わらずクローザーに起用された。
一発勝負の国際大会においてこれは、異例の配置転換だったという。[出典5]
▼松坂大輔
松坂大輔を見て思い出す、プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング https://t.co/7f6ixuKk9x pic.twitter.com/4wwsc02yt2
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決勝戦、ダルビッシュ有は自らの失点で延長線に持ち込まれるも、イチローのタイムリーによって勝ち越し、その後のイニングを抑えて日本のWBC連覇に貢献。
見事、胴上げ投手となった。[出典5]
▼イチロー
【地元紙が報道】イチロー、近日中にマリナーズ退団かhttps://t.co/uAkFGwIfHz
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2018年4月21日
「みんなが彼を愛しているがイチローを手放す時が来た」との見出しのコラムを掲載。外野手が5人いる現状は多すぎると指摘した。 pic.twitter.com/rHaYrfEIXt
レンジャーズ時代の成績
日本球界で結果を残したダルビッシュ有は、かつて否定した大リーグへの挑戦を表明し、ポスティングシステムを行使。
そんなダルビッシュ有を獲得したのは、史上最高金額で落札したテキサス・レンジャースだった。
以降、ダルビッシュ有は2012年から2017年の半ばまでレンジャーズに在籍。
背番号は日ハム時代から引き続き背番号「11」を使用した。[出典5][出典11]
▼ダルビッシュ有といえば背番号「11」
レンジャーズ入団1年目、新人としては日本人史上最多となる16勝をあげたダルビッシュ有。
2年目には13勝を記録したほか、最多奪三振のタイトルを獲得し、投手最高の栄誉と呼ばれるサイ・ヤング賞の投票では2位につけるなど活躍した。[出典5]
▼テキサスでも輝き
その後は3年連続となる2桁勝利をマークし、通算39勝をあげたダルビッシュ有だったが、3年目の後半に故障者リスト入りしたままシーズンを終えてしまう。
それでも右肘の不調は続き、翌年にはトミー・ジョン手術を受け、長い間リハビリに励んだ。[出典5]
▼トミージョン手術、手術前後の心境 /Yu Darvish
1986年8月16日生まれ。大阪府出身。04年にドラフト1巡目で北海道日本ハム入団。入団1年目から5勝をマーク。07年には15勝を挙げる活躍で、投手の最高賞である沢村賞を獲得。第2回(2009年)WBCでは胴上げ投手となり、日本の連覇にも大きく貢献した(WBC大会記録 20奪三振)。11年シーズンは5年連続防御率1点台の大記録も樹立。その年のオフに、メジャー・リーグのテキサス・レンジャーズへ移籍。メジャー1年目から先発ローテーションの一角として16勝をマークする活躍を見せ、2年目の2013年もチームに欠かせない存在として輝きを放っている。2015年にはトミージョン手術をし、2016年に復帰を果たす。2017年シーズン途中でロサンゼルス・ドジャースへ移籍。メジャー最速(128試合)で1,000奪三振を達成。ワールドシリーズの舞台へと駆け上がる。2018年シカゴ・カブスに移籍。2020年60試合制のイレギュラーなシーズンで8勝をマーク。日本人投手では初の最多勝のタイトルを獲得し、サイ・ヤング賞(最優秀選手賞)候補にも選ばれた。2021年サンディエゴ・パドレスに移籍。
出典:タレントデータバンク