2022年2月4日更新
なかなか『好き』と言い出せなくて… 一緒に歩いていたとき、彼のセーターの袖口を、そっとつまんでみたくなった[出典22]
という自身の思い出から生まれたといい、後世に歌い継がれる名曲となっている。[出典19][出典22]
快進撃、続く
中森明菜の4thシングル「1/2の神話」、5thシングル「トワイライト -夕暮れ便り-」に続く6thシングルとして発売されたのが「禁区」だ。[出典19][出典23]
▼0:00〜「禁区」
細野晴臣作曲のテクノ歌謡「禁区」は、恋の終わりを見いだせない女心を歌ったもの。
中森明菜は、この曲ではじめて『紅白歌合戦』(NHK)に出場している。[出典19][出典24]
乙女と不良の”中間”の曲
中森明菜の7thシングル「北ウィング」の作詞作曲を行ったのは、「悲しい色やね」や「悲しみがとまらない」で知られる林哲司・康珍化コンビ。[出典23][出典25]
▼0:50〜「北ウィング」
当時、「スローモーション」「セカンド・ラブ」に代表される乙女な雰囲気と、「少女A」に代表されるツッパった雰囲気という両極端のイメージで作品を展開していた中森明菜。
「北ウィング」は、ちょうどその真ん中のイメージというコンセプトで作られた楽曲だった。[出典25]
明菜がタイトルを付けた!
「北ウィング」はもともと「ミッドナイト・フライト」というタイトルだったそうだが、中森明菜の直々の申し出により、「北ウィング」に変更されたそうだ。
当初、作詞作曲を担当した林哲司・康珍化はタイトル変更に難色を示したそうだが、のちに林哲司が、
近年、康さんとその話になりました。「そうだった。今にして思えば彼女の感性はすごいよね」と、当時、ダイレクトすぎると感じていたタイトル「北ウイング」に、時代を超えて納得している作者二人でした。[出典26]
と、中森明菜のタイトル案に納得したことを明かしている(2016年6月時点)。[出典26]
『レコ大』で快挙
「北ウィング」に続き、
- 8thシングル「サザン・ウィンド」
- 9thシングル「十戒」
- 10thシングル「飾りじゃないのよ涙は」
- 11thシングル「ミ・アモーレ」
- 12thシングル「SAND BEIGE-砂漠へ-」
- 13thシングル「SOLITUDE」
と、数々のヒットソングを世に送り出した中森明菜が放った14thシングルが「Desire(デザイア)」だ。[出典23][出典27][出典28]
▼1:24〜「Desire(デザイア)」
1985年、「ミ・アモーレ」で日本レコード大賞を受賞し、弱冠20歳にして日本音楽界の頂点に上り詰めた中森明菜。
その翌1986年リリースの「Desire(デザイア)」は、中森明菜に2年連続となる日本レコード大賞受賞の快挙をもたらした。[出典27]
衣装も話題に
当時のアイドルとしては珍しく、デビュー当時から歌手としてのアイデンティティを確立していたという中森明菜は、衣装や振り付けなどをセルフプロデュースすることで知られいる。
なかでも、その特徴的なビジュアルが人々に大きな印象を残したのが「Desire(デザイア)」だ。[出典25][出典27]