2024年1月16日更新
生い立ち
佐々木蔵之介は1968年2月4日、京都府に生まれた。そのため、現在の年齢は56歳である。
身長は182cmで、体重は74kg。最終学歴は神戸大学の農学部。[出典1]
酒蔵の息子として生誕!
佐々木蔵之介は男3人兄弟の次男として生まれた。実家は「佐々木酒造」という、1893年に創業された歴史ある酒蔵である。
3人兄弟のうち、長男は、
「飲んで無くなってしまうものを造るのはいやだ」[出典2]
との理由から建築の道に進んだ。その一方で、次男の佐々木蔵之介が神戸大学の農学部に進学し、酒造家の道を進んでいた。
しかし、唐突に
「俳優になる」[出典2]
と出て行ってしまったことで、大学で中国文学科を専攻していた三男が嫌々ながらも酒蔵を継いでいる。[出典2]
格闘家への道もあった!?
佐々木蔵之介は一時期、格闘家を志しかけたことがあるそう。というのも、
この入学試験に失敗したら佐山聡さんのところでシューティング(総合格闘技の一種。現・修斗)をやろう[出典3]
と思い立ったことがあり、その時は木に向かい合って繰り返し、ローリングソバットを放っていたんだとか。[出典3]
コンプレックスの塊だった学生時代
思春期の佐々木蔵之介は兄の優秀さにコンプレックスを抱いていた。また、人前で話すことも苦手な性格の子供だった。
京都の進学校に通っていた高校生時代にも、成績は悪かったと明かしている。[出典4]
大学生時代
東京農業大学の農学部を経て、神戸大学の農学部に進学した佐々木蔵之介。
父親からの教えをきっかけに、「後の商売の時に人前で話すことが苦手ではいけない」との理由から彼は演劇サークルに入った。[出典5]
ちなみに「佐々木蔵之介」は芸名で、父親から「大石内蔵助」と「酒造」をかけて提案されたもの。本名は佐々木秀明。[出典5][出典6]
広告代理店に就職!しかし……
演劇サークルに所属していた佐々木蔵之介は、大学2年生の頃、先輩から声をかけられて劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加した。
けれど役者で稼いでいこうというつもりはなく、当時は酒造を継ごうと考えていた佐々木。そのために彼は、大学卒業後は広告代理店に就職。
就職した後も劇団に籍を置いていると、そんな彼に変化があった。
東京の劇団から客演の依頼があったんです。1か月稽古で、2か月間本番。[出典7]
これを受けて、佐々木蔵之介は「仕事の傍らで参加するのは不可能」と考え、断ろうとしたという。しかし、
その時に『まだ終わらせたくない』という気持ちが湧いてきて、芝居の道に進むことを決めたんです[出典7]
と、俳優としての転機を明かした。[出典7]