どんな人?
- 保阪尚希(ほさかなおき)は、日本で活動する俳優・通販コンサルタント。静岡県静岡市出身の1967年12月11日生まれ。有限会社サンクチュアリ所属。
- 7歳の頃に両親が自殺しており、中学卒業後はアルバイトをしながら定時制高校へ通い、卒業している。
- 1986年放送のドラマ『チェッカーズ・イン・涙のリクエスト』でデビューを果たし、1992年公開の映画『パ★テ★オ』での演技が評価され、「日本アカデミー賞」新人俳優賞を受賞。
- 90年代には多数のドラマ、映画作品に出演。女性人気が高く、俳優の萩原聖人・萩原聖人と共に”新・平成の御三家”と呼ばれていた。
- 32歳の時、腹膜炎から内臓破裂を起こし生死を彷徨った経験から、健康を発信することに興味を持ち、様々な製品を販売。近年では”通販王”と呼ばれている。
生い立ち
保阪尚希は、静岡県静岡市出身の1967年12月11日生まれ。[出典1]
現在年齢は56歳。有限会社サンクチュアリ所属。[出典2]
7歳の頃に両親が自殺
保阪尚希は、両親と4歳下の妹、祖母と暮らしていた。
父親はサラリーマン、母親は専業主婦だった。
母親はいわゆる”教育ママ”で、保阪尚希に映画・ピアノ・エレクトーン・そろばん・習字・器械体操など多くの習い事をさせていた。
しかし、保阪尚希が7歳の誕生日を迎えた3日後に、両親が自殺。
当時は無理心中だと報道された。
事件後は祖母と妹と3人で暮らすが、祖母に迷惑をかけないと自分で家事をこなしていたという。
しかし、両親の自殺から2年後には、今度が祖母が脳溢血で倒れ、半身不随の状態となってしまった。
その際に駆け付けた叔母から、「あんた(保阪尚希)が迷惑をかけたからだ」と非情な言葉を投げかけられ、保阪尚希はその際に、1日でも早く自立することを誓ったと語っている。[出典3]
2007年に浄土真宗で出家
保阪尚希は2007年に出家している。
出家の理由は、両親の自殺だという。
両親にお経を読みたいと思ったことがきっかけとなっており、他の仕事もできる「在家出家」をした。
そのため、出家後も俳優業・通販コンサルタントといった仕事を継続している。
また、出家に伴う剃髪もほとんどしていない。
保阪尚希は日蓮宗だったが、それを知らなかったため、出家させてくれるという浄土真宗で出家。
そのことがきっかけで、当時の仏教界はかなり揉めたといわれている。[出典4]
芸能活動
13歳の時に渋谷でスカウトを受ける
保阪尚希は13歳の時、渋谷でスカウトを受けた。
音楽が好きで、当時住んでいた静岡県から電車で渋谷に通っていた際に声をかけられたという。[出典5]
1992年公開の映画『パ★テ★オ』での演技が評価される
保阪尚希は1992年公開の映画『パ★テ★オ』に出演。
作中での演技が高く評価され、「日本アカデミー賞」で新人賞を受賞している。[出典7]
1990年代には、”新・平成の御三家”と呼ばれるように
1990年代には多くのドラマ・映画に出演。
当時、同じく人気俳優であった萩原聖人、福山雅治と共に”新・平成の御三家”と呼ばれていた。