2022年2月4日更新
中学三年生の頃、大杉漣は兄の影響を受けてサッカーを始めた。
そして高校からサッカー部に入部し、俳優業を始めて以降も「鰯クラブ」というサッカーチームで背番号10番をつけてプレーしていた。[出典11]
▼大のサッカー好き!
これからも漣さんは徳島の誇りです、、、#大杉漣 #大杉漣さんお別れの会 pic.twitter.com/FFoSJMD2Ut
— 毛毛ヒジキ (@KenYasuda_love) 2018年4月14日
大学進学と共に上京
高校卒業後、大学進学のために上京した大杉漣は、吉祥寺に住みながら音楽に明け暮れる日々を過ごすようになる。
学校にも行かず、ついに大学を中退した大杉漣はアルバイトで生計を立てていたという。[出典9]
▼上京するも大学を中退
大杉漣が俳優魂を捧げた“生”と“死”のドラマ。初のプロデュース作にして最後の主演作『教誨師』の特報がお目見え https://t.co/mEoqiqUEjz pic.twitter.com/HhRVLhh5jL
— 映画サイト | Movie Walker (@Movie__Walker) 2018年4月11日
大杉漣の芸能活動
劇団に入団
大学中退後にアルバイト生活を送っていた大杉漣は、たまたま劇作家・太田省吾の文章と出会う。
その文章に魅了された大杉は劇団に入団し、演劇の世界に足を踏み入れていった。[出典9]
▼きっかけは劇作家・太田省吾
大杉漣さん最後の主演作の映像が公開! 「絶対に見に行きます」の声
— grape (@grapeejp) 2018年4月12日
⇒https://t.co/aBb4fxjgBz
大杉漣さん最後の映画作品となる『教誨師』の映像が公開!大きなスクリーンで見られるのが最後と思うと寂しいですね…。 pic.twitter.com/o9gca4s9S6
劇団の解散
およそ15年間、舞台俳優として活動してきた大杉漣だったが、彼が37歳の時に劇団が解散してしまう。
当時大人気のVシネマへ活動の幅を広げていくも、彼の知名度はなかなか上がらずじまいだった。[出典9]
北野武との出会い
そんな無名の俳優・大杉漣が一躍脚光をあびるきっかけとなったのが、北野武監督作品・映画『ソナチネ』への出演だった。[出典12]
大杉漣は同映画のオーディションに対して「落ちたら役者を辞めサラリーマンになろう」という決意を持って臨んだ。
だが、そんな大一番にもかかわらず、大杉はそのオーディションに遅刻してしまったそう。
[フォトギャラリー]北野武監督、ベネチア映画祭で笑顔!【第74回ベネチア国際映画祭】 #ベネチア映画祭 #北野武 #アウトレイジ最終章 https://t.co/Y1TtXK2Pd0 pic.twitter.com/fdCCaFXHmm
— シネマトゥデイ (@cinematoday) 2017年9月9日
しかし謝罪する大杉漣の姿を見た北野武は、大杉を落選させることなく、作中に登場する電話番役に抜擢。
その後は、次々に北野作品に大杉を出演させていくようになった。[出典13]
▼『ソナチネ』出演で知名度アップ