2018年4月27日更新
斎場に駆けつけたつんく♂によると、弟が起こした事件の影響で芸能活動を休止していた後藤真希は当時、
お母さんが子供みたいに甘えてくる。1年ぐらい休んで世界旅行でもしたい[出典23]
と、伝えていたという。
そのぐらい母ちゃん思いだった。ライブのMCも、3回に1回か2回は母ちゃんネタだった[出典23]
▼最愛の母を失い……
母に捧ぐ「華詩 -hanauta-」
小学校5年生の頃に父親を事故で亡くすという過去を背負いながら、モーニング娘。としてブレイクし、たった16歳で実家を新築した後藤真希。
アイドルとしての人気が落ちたと言われても、後藤真希は母の笑顔のために懸命に歌い続けてきたという。
そんななか、弟が事件を起こし、少年刑務所に服役。
そのため、後藤真希は芸能界引退すら考えたというが、家族を支えるために奮起し、エイベックスに移籍。[出典24]
▼家族のために歌う
これからという時に、母の転落事故は起きてしまった。
後藤真希は第一発見者として警察に状況報告をせねばならず、最愛の母の最期に立ち会うことすらできなかったという。
そんな後藤真希が自ら作詞を手がけ、母への思いを綴ったバラードが、「華詩 -hanauta-」だった。[出典24]
▼0:00〜より「華詩 -hanauta-」
後藤真希が芸能活動休止を発表
2011年末に活動休止
2011年6月、後藤真希は同年末で芸能活動を休止することを発表した。後藤は2010年に母親を失い
ゴマキではない自分、後藤真希という普通の自分に戻ってみたいという願望に繋がりました[出典25]
とコメント。さらに
何ができるのか、考えたり挑戦したりしたいのです。なので、とても長い時期悩みましたが、ここで足をとめることにしました[出典25]
と決心を明かしていた。[出典25]
▼母親の死をきっかけに見つめ直した
1999年モーニング娘。3期メンバーとしてデビュー。2001年『愛のバカやろう』でソロデビュー。2007年ハロープロジェクトを卒業。2008年エイベックスに移籍。2009年SWEET BLACK feat. MAKI GOTOで移籍後、初リリース。2014年より、美容誌・ファッション誌を中心に活躍する中、2015年に結婚。同年第1子となる女児を出産。2017年には第2子となる男児を出産し、現在2児の母。アパレルのプロデュースや美容商材の広告など30代等身大のライフスタイルを提案し、活動を続けている。
出典:タレントデータバンク