2018年4月27日更新
キランとする“存在感”があったんです。[出典19]
10年に一人の逸材[出典20]
▼つんく♂
https://twitter.com/tsunkuboy/status/817250366458765313
しかしながら、当時は活動方針などで揉めたこともあったようだ。
プロデューサーとして、あくまでアイドルであることを要求するつんく♂に対し、後藤真希は、
曲を表現するのは私だし、その曲=後藤真希になるわけだから、やっぱり歌いたくない曲は出したくない。[出典21]
と、主張。プロデュースされる立場にありながら、「こんな歌が歌いたい」、「この歌詞はこうしたい」と伝えるため、わがままだと思われたそうだ。[出典21]
▼つんく♂にとっては大変な存在!?
ソロデビュー後まもなく卒業
2001年、後藤真希は『愛のバカやろう』をリリースしソロデビュー。
『LOVEマシーン』でセンターを務めて以来、モーニング娘。を牽引し続けたが、翌2002年9月23日、17歳の誕生日にグループを卒業した。[出典10]
後藤真希は、モー娘。在籍時についてを次のように振り返っている。
私、モーニング娘。には、実は4年しかいなかったんです。中学生で加入して17歳で卒業したので、本当に子どもでした[出典21]
▼元モーニング娘。のゴマキに
後藤真希と母親の転落死
後藤真希に悲劇…
2010年1月、後藤真希の母・時子さんが都内の自宅から転落し、帰らぬ人となった。享年55。
第一発見者となったのは、後藤家の3女・後藤真希だった。[出典22][出典23]
1996年10月、山での転落事故で夫を失って以来、居酒屋を経営しつつ後藤真希ら4人の子供を女手一つで育ててきた時子さん。
生前は、2009年末に閉店した居酒屋のことや、服役中の息子・後藤祐樹さんに会えないことで悩んでいたという。[出典22][出典23]
▼悲しみは計り知れず
喪服姿の後藤真希
母・時子さんの告別式に出席した後藤真希は、和装の喪服で登場し、終始気丈に振る舞った。棺には家族写真と、時子さんが好きだったという後藤真希の楽曲「with…」の歌詞カードを収めたという。[出典23]
1999年モーニング娘。3期メンバーとしてデビュー。2001年『愛のバカやろう』でソロデビュー。2007年ハロープロジェクトを卒業。2008年エイベックスに移籍。2009年SWEET BLACK feat. MAKI GOTOで移籍後、初リリース。2014年より、美容誌・ファッション誌を中心に活躍する中、2015年に結婚。同年第1子となる女児を出産。2017年には第2子となる男児を出産し、現在2児の母。アパレルのプロデュースや美容商材の広告など30代等身大のライフスタイルを提案し、活動を続けている。
出典:タレントデータバンク