2022年2月4日更新
どんな人?
▼明石家さんま
明石家さんまの生い立ち
明石家さんまは1955年7月1日生まれ。本名は杉本高文。生まれ育ったのは奈良県だが、出身地は和歌山県。[出典1][出典2]
お笑い芸人としての原点は幼少期に味わった“寂しさ”が原点。
兄と弟が手をかけられ育てられた一方、間に挟まれた次男坊であるさんまは、
高文(さんまの本名)は何でもひとりで大丈夫や[出典3]
と言われ、放任されて育った。
そんなさんまは、「せめて親戚からは気にかけてもらえるように」と、親戚を笑わせることから始め、友達を集めて喋るなど周りの人間と関わり合いを持つことに積極的になった。[出典3]
▼寂しさがお笑い芸人の原点!
実の母親はさんまが3歳の頃に亡くなっている。
実の母の顔を覚えていないというさんまだが、母が亡くなった当日、犬に噛みつかれ病院で腕を2針縫う怪我をした。そのことについてさんまは、
お母さんの葬式の日を覚えさせるためにその犬が噛みよった[出典4]
と語り、それが唯一の母親との思い出だと述懐している。[出典4]
▼腕の傷が母との思い出
明石家さんまの師匠は笑福亭松之助
さんまは高校卒業間際、18歳で落語家の笑福亭松之助に弟子入りした。[出典5][出典6]
さんまは松之助に弟子入り志願した理由を、
あんたはセンスがあるさかい[出典6]
と率直にタメ口で話したといい、一方、松之助はそれに対して「おおきに」と返答したという。[出典6][出典7]
▼師匠は笑福亭松之助
弟子入りを果たしたさんまは半年も経たないうちに「笑福亭さんま」の芸名で初舞台に立った。[出典5]
「さんま」という芸名は、さんまの実家が、水産加工業をやっていたことにちなむ。その芸名も、19歳の時に現在の「明石家さんま」に改名した。[出典5][出典8]
「明石家」という芸名は、松之助の本名・明石徳三が由来。[出典8]
▼知られざる芸名の変遷
https://twitter.com/post_variety/status/690709691219861504
20歳の時、テレビデビューを果たし、着物姿で主演しようとしたさんまに対し、松之助は、
赤いスーツで行け。目立たなあかん[出典8]
とアドバイス。赤いスーツ姿のさんまに苦い顔をした司会者だったが、松之助の弟子とわかると「しょうがない」と納得した。[出典8]
弟子時代、さんまは女性と駆け落ちし東京に逃げ出したことがある。
生活費をパチンコで稼ぐなどで生計を立てていたが、女性と破局すると再び関西に戻った。
借りていた本を返却すると言う名目で師匠宅を訪れたさんまに対して、松之助は破門することもせず、「早う入れ」と向かい入れたという。[出典8][出典40]
▼さんまと笑福亭松之助
https://twitter.com/owarai_natalie/status/716384740601823236
明石家さんま若い頃から今までの変遷
明石家さんまと『オレたちひょうきん族』
さんまは1970年代後半に大阪のテレビ番組で人気を得て、アイドル的な芸人として脚光を集めた。
その人気は“西の郷ひろみ”と言われるほどで、しばしば大量の女性ファンから出待ちされるほどだった。[出典10]
▼郷ひろみ
さんまの人気は、『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』という2つのフジテレビの番組への出演により全国区に知れ渡った。[出典10]
『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)では、当時人気絶頂だったビートたけしと軽妙なやり取りを見せた。[出典10]