2022年2月4日更新
「明石家」という芸名は、松之助の本名・明石徳三が由来。[出典8]
▼知られざる芸名の変遷
https://twitter.com/post_variety/status/690709691219861504
20歳の時、テレビデビューを果たし、着物姿で主演しようとしたさんまに対し、松之助は、
赤いスーツで行け。目立たなあかん[出典8]
とアドバイス。赤いスーツ姿のさんまに苦い顔をした司会者だったが、松之助の弟子とわかると「しょうがない」と納得した。[出典8]
弟子時代、さんまは女性と駆け落ちし東京に逃げ出したことがある。
生活費をパチンコで稼ぐなどで生計を立てていたが、女性と破局すると再び関西に戻った。
借りていた本を返却すると言う名目で師匠宅を訪れたさんまに対して、松之助は破門することもせず、「早う入れ」と向かい入れたという。[出典8][出典40]
▼さんまと笑福亭松之助
https://twitter.com/owarai_natalie/status/716384740601823236
明石家さんま若い頃から今までの変遷
明石家さんまと『オレたちひょうきん族』
さんまは1970年代後半に大阪のテレビ番組で人気を得て、アイドル的な芸人として脚光を集めた。
その人気は“西の郷ひろみ”と言われるほどで、しばしば大量の女性ファンから出待ちされるほどだった。[出典10]
▼郷ひろみ
さんまの人気は、『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』という2つのフジテレビの番組への出演により全国区に知れ渡った。[出典10]
『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)では、当時人気絶頂だったビートたけしと軽妙なやり取りを見せた。[出典10]
▼ビートたけしとの掛け合いが人気に
https://twitter.com/gamekana/status/991636194143363074
『笑っていいとも!』(フジテレビ系)ではタモリとさんまのトークコーナーが人気になった。[出典10]
離婚を経て『恋のから騒ぎ』
さんまは、1986年にテレビドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)に出演。アイドル的な人気が絶頂に達した。
ドラマで共演した大竹しのぶと1988年に結婚したが、1992年に離婚。以降は、自分の離婚ネタをコミカルに語り、数々の有名タレントと熱愛の噂を流すようになった。[出典11]
▼大竹しのぶとはドラマで共演
1994年には浮名を流すさんまにうってつけのテレビ番組『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)が開始。